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2011年12月12日17:02

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政治指導者

図書館で『風の谷のナウシカ』のマンガを見つけて読んでみたのだが、大学の授業の教材になりそうなくらい哲学的な問題がてんこもりの作品だった。映画ではその一部しか扱われていないのであるが、こんな早い時期からいろいろな現代思想を吸収して、独自の世界観を完成させていたのだなと感心させられてしまった。決して読みやすいマンガじゃないけど、知識と文化の間の垣根をひょいとまたぐ足がかりとして広く読まれてもよいと思う。

科学文明は様々な恩恵を人類にもたらしたのであるが、同時に新しい問題も作り出す。まずは、兵器の破壊力が飛躍的に増大したこと。そのせいで、ちょっと前までは戦争もほとんどが局地的な被害で済んだのが、今日では国もしくは世界全体に壊滅的な結果をもたらしかねないことになっている。ヒトの歴史は戦争の歴史でもあるわけだが、この点では現代は人類史上前代未聞の状況に直面している。

第二に、自然に対する人間の支配力の増大。これも新しい話ではなく、道具を使って自然を搾取してきたのがヒトの歴史なのであるが、今日では昔は神様にしかできないと思われてきたようなこともやってのける力を人間は得た。特に、バイオテクノロジーというのは、生命の秘密を解き明かしてそれをヒトの必要に役立てようという前代未聞の企てで、まさに神の領域を侵犯しかねない問題である。

これ以外にも、一見有益無害な科学技術の進歩が見えないところで自然と人間の関係や我々の社会を変え、新たな問題を生じている。特に、こうした科学技術の発達にともなって、倫理的な問いが投げかけられている。神にも迫る強大な力を手に入れたヒトはその力をどのように使うべきか、その利用にどんな制約が課せられるべきかという問題である。残念ながら、自然に対する支配力の増大に比較して、この分野での進歩ははなはだ遅い。それは、対象化された自然に関する知識の獲得に対して、人間自身の自己理解というのが進まないからである。

結果として、人類はスタインベックの『ハツカネズミと人間』に出てくる馬鹿力はあるけど知性は子供並みの大人みたいなことになっている。『ナウシカ』の舞台になっているのは、こうした人間の知恵不足によって台無しになってしまった近未来らしき世界である。自分たちの住む世界の謎を探る過程でヒトの大いなる過ちを知ってしまったナウシカは、同じ過ちをを繰り返さないためにヒトは自然や共に生きる他人たちとどのような関係を築くべきかという課題に直面する。ナウシカは生まれ育った風の谷を出て、様々な人々と出会い、様々な現実を目の当たりにする中で、この課題に答えを出して行く。このナウシカの仮想のスピリチュアル・ジャーニーを読んで、現実にはまだ現在進行形で起きているこの過ちについて読者が反省し自己啓発する、つまり学問をすることが期待されているわけである。

ところで、自己啓発の旅の途中で、ナウシカは政治の問題に直面する。第一には、国内の政治で、権力者が私利私欲のために国家権力を濫用し、大衆を搾取する構造である。第二は国際関係などと呼ばれるもので、人類が徒党に別れ争い、憎しみが憎しみを生む連鎖の中で、種の保存と個人の生活/生命が犠牲にされてしまうことである。今日で言えば、ナショナリズムの問題である。科学技術の進歩はこうした古くからある問題を解決するどころか、ともすると権力者の道具となり、また国家間の戦争の犠牲者を増やし、自然を破壊し、人々の間に憎しみや不安を助長している。

でも、ナウシカはさらに奥深いところに問題を発見する。実は上記のような古い政治の問題の解決手段として、真の知を有する少数の者が前述の科学技術を用いて無知な大衆を操作し、自らが掲げる平和で調和のとれた世界の実現を目指しているのである。でも、民衆にはその真実は隠されており、代わりに偽りの宗教を通じて平和な社会の実現に都合の良い世界観が植え付けられている。世界から闇を駆逐して「浄化」しようとするこの裏の啓蒙プロジェクトこそが、その過程で非人間的な世界を生み出す元凶になっていることをナウシカは悟る。

ナウシカはこうした表と裏の権力に対する抵抗運動の政治的/精神的指導者になり、科学/宗教の「絶対知」を力の源泉とする既存の政治的権威を否定するに至る。背教者であり国家権力の後ろ盾を持たないナウシカの政治的正統性の源泉は階級や部族/国家の境界線を越えた民衆の支持なのであるが、ここで彼女は一つの難問に直面する。国家権力や宗教の利用を通じた政治問題の解決を否定してしまったナウシカであるが、民衆の教育という問題が残る。過去の過ちを繰り返さないためには、政治を民主化し、国や民族の間の憎しみの連鎖を断ち、自然とともに人々が平和に暮らせる社会を作らないとならない。そのためには、広く人民の知を拓き起こして、反省を通じて自己理解を深め、個別の文化の偏狭な部分を取り除いて行かないとならない。

それは政治的な解放よりも長く苦しい戦いになることを悟ったナウシカであるが、国家権力を否定し神を殺してしまった以上、それに頼ることはできない。でも、人々の文化はそう簡単に変わるものではなく、いきなり真実を話してしまうとあまりに荷の重さに失望を感じる人も出るし、人心も離れてしまう。実際、ナウシカ自身が、真実のあまりの重みにつぶされそうになっている。果たして、民衆一人一人がそのような経験を乗り越えて、真に平和な社会を築くことが出来るのか。

ここで、ナウシカは自分を慕う民衆に真実を隠し嘘をつくことを余儀なくされる。自らが神の使徒として奉られるのを受け入れざるを得なくなる。つまり、知る者と無知な者の境界線は、政治的/宗教的な権威からの解放では消えなかったのである。それは、より長い年月をかけて、民衆が自らの無意識の文化を意識化し、人類を分断している様々な歴史的境界線を穴だらけにし、自らの運命の管理者になる責任を背負うことを受け入れさせないとならないのである。これを国家権力や偽りの宗教の力を借りずに行うことは果たして可能なのか?

ナウシカの物語はここで終わってしまって、彼女が果たしてモーゼ、仏陀、ジーザス、ムハンマド、レーニン、毛沢東などの過去の指導者の二の舞にならなかったのかどうかは明らかにはならない。その問いは、ナウシカの旅を追った読者自身の宿題としてそのまま残されたようである。
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