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2011年09月26日14:27

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都市という空間

先日うちの先生に質問されて気づいたのだけど、日米の住所表記の違いには面白い文化の差が隠れていそうだ。米国では通りに番地がついているのに対して、日本では街区に番地がついている。米国の多くの都市は東西にストリート、南北にアヴェニューが走っていて、この二つの通りが直角に交わって格子状になっている。住所はこのストリートの何番、アヴェニューの何番という組み合わせになっていて、同じ街なら住所を聞けば地図がなくても位置がわかる。

これに対して、日本では通りではなく街区の名前に番地がついているので、その街区がどこにあるのかわからないと、住所からは位置を割り出す術がない。たとえば、市川市宝○丁目×番地という住所だと、まずは「宝」というのがどこにあるのかを知らないと、どちらの方向に車を走らせたらよいのか、どの路線の電車に乗ればよいのかさえもわからない。また、「宝」の街区の位置がわかっても、そこから何丁目という地区がどこにあるのかを導き出すことはできないのである。

住所の位置をすばやく探すという意味では、米国方式の方が便利で合理的と言えるのであるが、これにはもう少し深い文化の差異があるらしい。街というのは通りと街区からなっているわけだが、米国の空間感覚だと、通りが街の骨格であり通りの間はあとから埋められる空っぽの空間であるのに対して、日本ではまずは街区があって通りはその隙間を埋める空間にしか過ぎないということらしい。言われてみると、米国ではウォール・ストリートなのに対して、日本は兜町である。どちらも「街」なのであるが、前者は通りの名前で呼ばれるのに対して後者は街区の名で知られている。地下鉄の駅の名前も、こちらは通りの名のつくものが多いのに対して、日本ではやはり街区の名が多い。

この空間感覚の差異というのは、私の想像では、どうも街の形成過程の認識の違いを反映している。一方のイメージでは、まずは幾何学的な原理原則によって街の形が決められてから、その中身が埋められていく。つまり、整理される空間の外に立った人間(都市計画者)の主観がそのまま物質的な空間に投射されている。

これに対して、もう一方の空間は、その空間に住む人たちの主観が複雑に入り混じって有機的に形成されている。あらかじめ特定の計画に基づいて建設されるのではなく、歴史の中で必要に応じてそれぞれの主体が作り上げた空間が積み重なって一つの街を形成しているというイメージである。言ってみれば、市川市の宝というようなそれぞれの街区は、単に市川市の一部ではなく、ひとつの独立したアイデンティティが認められているのである。こうした街区が集まって市川市という大きな単位が出来上がっているイメージである。

都市計画に基づく街に対して、こちらは自然な街(人間の手が加わらないという意味ではなく、個人の抽象的な原理ではなく多くの人がかかわって長い時間をかけて培われてきたという意味で)と呼べそうである。まずは数件の家が集まって集落を作り、その集落の人口が増えて隣の集落と境界を接するようになって、といった歴史過程が前提にされているのだと思う。もちろん、今日の街区は比較的新しいものが大半だし、新しい住宅地を造成する時はそれなりの都市計画に基づいて行われているわけだが、住所表記だけは都市計画以前の文化を継承しているらしい。

じゃあ、これが米国と日本、もしくは西洋と東洋の文化の違いかというと、そうでもなさそうである。西欧でも、中世の都市というのは曲がりくねってどこに着くのかわからない通りがたくさんあって、地元の人でないととても迷わずに歩けない。逆に、北米、中南米の都市には通りが格子状の街がたくさんあるのだが、これは何もない空っぽの空間(実は原住民が住んでいたのであるが)に植民したから、人が住み着く前に計画が立てやすかったという事情があるに違いない。

日本でも、京都という街は東西南北に直角に交わる通りで整理されていている。中央を貫く朱雀通りを挟んで左右対称の完璧な幾何学模様である。他の例は思い浮かばないのだけど、おそらく城下町では、少なくとも城の回りはそれなりの都市計画に基づいて建設されていると思う。日本以外の東洋でも、先日、古代メソポタミアの都市ウル(遺跡が残る人類最古の都市らしい)の復元図を見て驚いたのだが、京都に似て完全に左右対称の幾何学都市であった。

都市というのも文明の一つの指標なのだが、幾何学的な都市というのはどうも頭脳労働階級の発生というのと深い関係があるらしい。大宇宙を律する普遍的な原理をそのまま都市の空間に再生しようというのが、都市の起源であるらしいのだ。つまり、都市とは大宇宙の縮図である小宇宙として作られたのである。わが日本が誇る京都も、中国からやってきた風水のコスモロジーに基づいて建設されたらしいから、中国からやってきたのか中国で学んだかしたシティー・プランナーたちの主観が投射された街なのである。都市とシティ・プランナーの関係は、大宇宙と神様の関係なのである。

都市という空間を捉える二種類の異なる見方の背景には、どうも国境や時代を超えた大きなふたつの文化がある。一つは抽象的な原理原則をより客観的なものとして、歴史をそうした原理原則に基づいて整理された空間に閉じ込めようとする文化であり、もう一つは世界というのは個別の主観が積み重なって出来た歴史の産物であると考える文化である。前者は昔は宗教、今日では近代科学と呼ばれる知の体系と深いかかわりがあって、古今東西、歴史よりも抽象的な原理を重んじる頭脳労働階級の文化なのである。

不思議なのは、後者は無秩序な空間を生み出しそうなものなのだけど、プランナーもデザイナーもいないのに欧州の中世都市や日本の農村のように見た目も美しく、住む人とってそれなりに機能的な空間秩序が出来上がることである。普遍的な原理原則を知った神様がいなくても、長い間に人間同士の関係の中で培われた知恵が堆積しているような空間があるわけである。一体、どういうわけでそんな空間が出来上がったのかという問題は、都市のみでなく世界の空間秩序のあり方を考える上でも重要な問題であると思うのだが、そういう大事な問いをまじめに考えている人たちがどれほどいるのか、浅学寡聞な身のせいか聞いたことがない。是非、若い人たちには我々以上に気をつけておいてほしい問題である。
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