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2011年01月14日01:28

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政局ってなんだ?

与謝野氏、離党届提出 内閣改造で入閣視野
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1467118&media_id=88

ニュースとは直接関係ないのだけど、与謝野氏の政局を読む政治家としての資質を云々する批判が気になったので、考えてみた。

「政局」というのは、日本の政治を語る時によく耳にする言葉である。政治学を学んでいるはずの者としては恥ずかしいかぎりだが、正直言って、私にはその意味が今ひとつわかりかねるのである。広辞苑を引いてみても、「政治の局面。その時の政界の有様。政界のなりゆき」という、同じことを違う言い方で言ってみましたみたいなものが出ている。でも、これだと、「そろそろ政局だな」とか「あの政治家は政局に強い」なんていうセリフの意味が理解できない。

日本独特の表現で、訳そうと思えば訳せないことはないのだが、ちょっとした業界用語で表面的な意味だけではなかなかそのニュアンスが伝わらない言葉でもある。強いて訳せば、political crisisくらいだと思う。日本語でクライシスとか危機というとよほどのことを指すわけだが、英語だとそれだけじゃなくて見通しが利かなくなったような状況一般を指すようなところがある。

でも、「政局」というのは誰にとってのクライシスなんだということになると思うのだが、一般の使い方から類推するに、それは国とか国民ではなくプロの政治家にとってのものらしい。普段は見通しがきいていてルーティン化している政治家の仕事なのだが、時々政治家として決断を迫られ、その決断によって政治生命が左右されかねない局面が生じる。それを政局と名づけたのは政治家なのかメディアなのかわからないが、要するに普段は惰性でやっているような政治家が自分自身の決断を迫られる例外的な状況を恐れて呼んでいるのがその正体らしい。

逆にいうと、政治家はつねに「政治」をやっているわけじゃないと告白しているようなもので、普段は深い考えもなしにサラリーマンのように党や周囲の雰囲気に合わせて動いているわけでもある。慣れきった仕事に安住している政治家にとっては、一寸先は闇という政治の世界の格言をを思い出させてくれるのがたぶん「政局」なのであり、政治家の業界では特別な意味を持つイベントなのだと思う。

「政局を読む」という言い方もあるのだが、こうした例外的な状況を的確に判断してうまく処世する力のことを指すようである。政治的嗅覚なんて言葉とも関係がありそうだ。「空気を読む」と呼び代えてもいいような気もするが、例外的な状況でもう少し能動的な決断とリスクをとる覚悟が込められているような気がする。例外的状況では今までの常識が通じないから、大勢になびいていれば安全とは言えないからだ。

そう考えると、政治家の資質とこの「政局」の関係も微妙なところだ。政局でもなんでも読めないよりは読める方がよいような気がするが、有権者にとって「政局に強い」政治家がよい政治家と言えるかどうかは疑問である。上記の意味での政局の政治家としては、小泉元首相、小沢前民主党代表などが思い浮かぶ。どちらも政局を読むだけでなく自分で作り出してしまうのであるが、二人の政治手法の功罪も評価が分かれるところである。

有権者の方から見れば、政治というのは可能性とかイノベーションというものと切っては切れないものだから、あまり政治家同士でなあなあの政治になってもらっても困る。時々は「政局」で判断力や決断力を磨いてもらうのは悪いことじゃない。でも、それだけが政治だと思ってもらっては、高い金を払って普段からへっぽこ役者を含めた劇団を雇い上げている芸能界みたいなことになる。「政局」の顛末というのはそれはそれで面白いのであるが、「政局」がなければ政治もない、だから決断もしなくてもよいと政治家の方々に思われてしまうと困るわけである。

メディアも日常的に「政局」を念頭においた政治ばかりに注目し、国民が政治に対して抱くイメージをエラく狭いものにするのに貢献している。政党とか内閣の支持率の世論調査なんて典型的なもので、コロコロと猫の目のように変わる個人の好みを数ヶ月単位で集計して、それを政治の指標にされたのではたまらない。善いか悪いかは別として国民生活の深くに入り込んできた国家機構というものを管理する立場なのだから、「政局」のために広い意味での政治が置き去りにされても困るのである。

どの政治家が政局に強いか、政局の結果どの政治家/政党/派閥が勝ち組/負け組になるか、なんていう競馬の下馬評みたいな論評もスポーツ感覚で見れば面白いし、いわゆる政談好き(アメリカだとポリティカル・ジャンキーと呼ばれる人たち)の人たちが政治の話として語るのはほとんどがこれである。でも、政治劇の消費者ではなく、有権者そして国民としてはいくら面白くても「政局」を楽しんでばかりもいられないのである。

なあなあの馴れ合いでもなく、また政局の為だけででもないような政治のあり方というのは、果たして我々の想像を超えたものなのか、はたまた我々の想像力が妙に萎縮してしまっているのか。ここに政治家、メディア、そして有権者が深く考えてみてみるべきもう一つの宿題ができた。
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