絵の特徴としては、女性の肖像画が多く、パステル調の色彩、特に淡いピンクとグレーの色が多い。
目と口が強調されてて鼻はボンヤリとしか描かれていません。
鹿、馬、猫等の動物もよくデフォルメして描かれています。
この画風は他に有りそうで無いローランサン特有のものですね。
ローランサンは、画家仲間から「洗濯船のミューズ(女神)」と称され、詩人ジャン・コクトーからは「野獣派(フォーヴ)と立体派(キュビスト)の間で罠にかかった可愛い牝鹿」と形容されました。
マリー・ローランサンについて簡単にふれておきますと、
1883年 パリのシャブロル街63番地に生まれる。
1904年 画塾アカデミー・アンベールにて本格的に絵画の勉強を始める。
1906年 ジョルジュ・ブラックの紹介でモンマルトルの”洗濯船”(画家達が住むオンボロアパート)に出入りし、 ピカソ、マックス・ジャコブ等の仲間に加わる。
1907年 ピカソの紹介で詩人ギョーム・アポリネールと出合う。
1914年 アポリネールと別れた後、ドイツ人画家オットー・フォン・ヴェッツェンと結婚。
第一次世界大戦勃発し、スペインに逃れる。
1918年 アポリネール死去。
1921年 ヴェッツェンと離れて、パリに戻る。翌年離婚。
1923年 ディアギレフの依頼でジャン・コクトーの台本、フランシス・プーランクの音楽、
ニジンスカの振付によるバレエ「牝鹿」の舞台装置と衣装を担当する。
1925年 シュザンヌ・モローが家政婦として働き始め、画家が死ぬまで生活をともにする。
1932年 パリ16区のアトリエで教鞭をとる。
1936年 国際博覧会のために「舞台稽古」を制作。
1954年 シュザンヌ・モローを養女にする。
1956年 パリのアパルトマンにて心臓発作のため死去。ペール=ラシェーズ墓地に埋葬される。