投手。背番号 48
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背番号
(ORIX 55→42→日ハム 19→ヤクルト 48 )
生年月日 1973年8月20日
身長/体重 182cm/88kg
満年齢 34歳
血液型 A型
出身地 東京 投打 右右
プロ通算年 16年
ドラフト年(順位) 1991年(2位)
2007年6月、オリックスから交換トレードで入団。
東海大甲府高→オリックス・ブルーウェーブ(1992年ドラフト2位)→北海道日本ハムファイターズ(交換トレード)
高校時代から大型内野手として評判だったものの、プロ入り後は一軍出場もないまま、肩の強さを買われ2002年に投手転向。
ORIX時代
来歴・人物
東海大甲府で1990年と1991年に選抜大会に出場し、1991年にドラフト2位で強肩強打がウリの内野手としてオリックスに入団(イチロー、田口壮と同期)。しかし、なかなか野手としての才能が開花せず、プロ入り9年目の2000年シーズン途中から投手に転向。2001年に投手として初出場。2002年には3勝10セーブを記録した。以降2年間は低迷するものの、新たにカーブを習得、中継ぎ投手として活躍。2005年は中継ぎだけでなく時には3イニング限定で先発するなどフル稼働し、49試合に登板して81イニングを投げ、3勝2敗1セーブ、防御率3.89という好成績を挙げた。
打者通算成績
31試合出場 6打数 1安打 0本塁打 0打点 打率.167
投手通算成績
200試合登板 9勝 14敗 15セーブ 284.2投球回 237奪三振 防御率4.87
来歴・人物
東海大甲府高校で1990年と1991年に選抜大会に出場し、1991年にドラフト2位で強肩強打が売りの内野手としてオリックス・ブルーウェーブに入団(イチロー、田口壮と同期)。しかし、なかなか野手としての才能が開花せず、プロ入り9年目の2000年シーズン途中から投手に転向。
2001年に初登板。2002年には3勝10セーブを記録した。以降2年間は低迷するものの、新たにカーブを習得、中継ぎ投手として活躍。2005年は中継ぎだけでなく時には3イニング限定で先発するなどフル稼働し、49試合に登板して81イニングを投げ、3勝2敗1セーブ、防御率3.89という好成績を挙げた。2006年シーズンは不本意な成績だった。
2007年6月28日、清水章夫・木元邦之との交換トレードで歌藤達夫とともに日本ハムへ移籍した。
背番号
55(1992年〜2001年)
42(2002年〜2007年)
19(2007年)
48(2008年〜 )
エピソード
仰木彬が1994年から8年間オリックス監督を務めていた時に野手から投手に転向したのは、萩原以外に嘉勢敏弘と今村文昭がいる。しかし嘉勢と今村が高校時代はエースだったのに対して、萩原は投手経験がまったくなかった。
2試合連続で先発投手を務めたことがある。2005年6月5日の広島東洋カープ戦では3回を2安打無失点、移動日を挟んだ6月7日の阪神タイガース戦では3回1失点と言う成績であった。
2006年のオリックスの宮古島キャンプに同級生のイチローが訪れ、旧交を温めた。その際イチローは紅白戦に出場し、そこで萩原と対戦した。高校時代に鈴木「投手」と萩原「野手」で対戦したことがある2人は(結果はイチローが完璧に萩原を抑え込む)、その頃と立場が全く逆になって対戦することに対し感慨深いものがあったという。結果はイチローが「あいつに抑えられるわけにはいきませんから」の宣言どおりヒットを放ち、高校時代からイチローの2連勝となった。
かつてオリックスで打撃コーチを務めた新井宏昌は、身体能力が抜群だった萩原が野手として大成しなかった理由として「動体視力(瞬時にボールの変化や遠近感を捉える能力)が他の選手に比べて少し弱かったのでは」と語っている。
オリックス時代は、オフシーズンになると神戸市をサブホームとするアジアリーグアイスホッケーの日光神戸アイスバックスの応援にも駆けつけていた。観戦成績は非常によく、アイスバックス側からもオリックス時代と同じ42番のジャージを進呈されている。ちなみに萩原本人は西東京市出身ということもあり東伏見スケートセンターにも子供の頃にアイスホッケー観戦に来ていた。
長髪と髭がトレードマーク。
年度別成績(一軍)
野手成績
年度 チーム 試合 打数 安打 本塁打 打点 盗塁 四死球 三振 打率
1992 オリックス 出場なし
1993 オリックス 出場なし
1994 オリックス 出場なし
1995 オリックス 出場なし
1996 オリックス 4 3 1 0 0 0 0 1 .333
1997 オリックス 1 1 0 0 0 0 0 1 .000
1998 オリックス 2 2 0 0 0 0 0 0 .000
1999 オリックス 出場なし
2000 オリックス 出場なし
通算(9年) 7 6 1 0 0 0 0 2 .167
投手成績
年度 チーム 登板 勝利 敗北 セーブ 完投 完封 投球回 四死球 奪三振 失点 防御率
2001 オリックス 1 0 0 0 0 0 1 1 1 0 0.00
2002 オリックス 48 3 4 10 0 0 64 2/3 27 55 19 2.64
2003 オリックス 42 1 3 4 0 0 61 1/3 47 57 49 6.90
2004 オリックス 33 0 1 0 0 0 36 29 26 28 7.00
2005 オリックス 49 3 2 1 0 0 81 37 73 41 3.89
2006 オリックス 33 3 4 0 0 0 49 30 31 29 5.14
2007 日本ハム 5 1 0 0 0 0 8 5 5 5 5.63
通算(7年) 211 11 14 15 0 0 301 176 248 171 4.84
初記録
打撃記録
初出場:1996年8月1日、対西武18回戦(グリーンスタジアム神戸) − 九番・三塁手として先発
初安打:同上
投手記録
初登板:2001年6月18日、対千葉ロッテ12回戦(グリーンスタジアム神戸) − 9回表当初から救援(打者:渡辺正人)
初奪三振:同上(打者:橋本将)
初勝利:2002年7月21日、対福岡ダイエー14回戦(福岡ドーム)
初セーブ:2002年8月6日、対日本ハム17回戦(東京ドーム)
初先発:2003年7月30日、対日本ハム18回戦(Yahoo!BBスタジアム)