本荘市にあったプレイランドファンタジアというゲーセンのコミュニティです。
メンバーが上京したり帰省したりなどのイベントや、罵詈雑言や思い出語りなどw、あらゆる用途に使ってください。
いずれ全員をこのコミュに集めて、壮大に飲み会をしましょうwww
【あらすじ】
1987年に本荘ファミリーデパート(当時)の一角に設けられたゲームコーナー、それがプレイランドファンタジアです。
当時、秋田市には秋田キャロットハウスという、ゲーマーコミュニティのお手本となるようなゲーセンがあり、本荘は秋田から車で一時間ほどの立地ですから、本荘ゲーマーたちは「隣の芝生の青さ加減」に羨んでいました。
その頃の本荘には「レモン」「緑屋」「ワコー」「ジョイランド」「ジャンボレーン」「ジャスコ」など、いくつかゲーセンと呼べるような店があったのですが、どちらかと言えば場末の不良の溜まり場のイメージのゲーセンが多く、コミュニティとしては成立していませんでした。
そんな中ひょっこりと現れたプレイランドファンタジアは、多くの最新ゲームを設置し、デパートのテナントであるということから店内が明るくなっていたこと、そして何よりも店長のKさんがゲーマーに非常に理解を示してくれる人だったこともあり、ゲーマーたちが期待を寄せて然るべき店でした。
とにかく本荘ゲーマーはまともなゲーセンに飢えていたのです。
そして店長のKさんの協力の下、バイト店員による客と店側とのコミュニケーションと意見吸い上げ、メンテの徹底、雑記帳の設置・ゲーメストの常設・スコアボードの設置など、ゲーマーのコミュニティが着実に出来上がっていきました。
当初は長期休暇のみだったバイトも、週末常勤になりました。
ゲーメストのスコア申請は最初は枠が無くて参加できなかったのですが、二部が出来た時に参加することができました。
ファンタジアのゲーマーたちはスコアに一喜一憂し、ミニコミ誌を発行し、秋田市のゲーマーとも交流し、ゲーマー人生を謳歌していました。
彼らにとってファンタジアはユートピアだったと言っていいと思います。
店長がKさんからゲーマーのD氏に変わり、格闘ゲーム全盛時代になってもその居心地の良さは変わりませんでした。
ゲーマーが低年齢化し年配のゲーマーたちの足が遠のき始めても、ゲーマーコミュニティそのものは若返りつつ健在でした。
しかし90年代に襲った不況により多くのゲーセンが歴史に幕を下ろしました。
残念ながらゲーマーという客層は、売上への貢献度はそれほど高くはない層です。
ファンタジアも例外ではなく、売上悪化による業務整理によって閉店となりました・・・
困ったときには