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柴谷篤弘

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詳細 2024年5月7日 21:31更新


柴谷篤弘
日本の昆虫学者

柴谷 篤弘(しばたに あつひろ、1920年8月1日 - 2011年3月25日 )は、日本の生物学者・科学・国際問題評論家。

柴谷 篤弘しばたに あつひろ
人物情報
生誕
1920年8月1日
日本の旗 日本 大阪府堺市
死没
2011年3月25日(90歳没)
日本の旗 日本 大阪府茨木市
肺炎
国籍
日本の旗 日本
出身校
京都帝国大学理学部
学問
研究分野
分子生物学
研究機関
ミノファーゲン製薬研究部
大阪大学
山口県立医科大学
広島大学原爆放射能医学研究所
オーストラリアの旗 オーストラリアオーストラリア連邦科学産業研究機構
関西医科大学
ドイツの旗 ドイツベルリン高等学術研究所
京都精華大学
学位
理学博士
医学博士
称号
京都精華大学名誉教授
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専門は分子生物学。学位は、理学博士及び医学博士。京都精華大学名誉教授。本名、横田篤弘[1]。

人物
編集
大阪府堺市生まれ[1]。旧制京都一中、旧制三高卒業[2]、京都帝国大学工学部応用化学科入学[3]を経て、1946年に京都帝国大学理学部動物学科を卒業。ミノファーゲン製薬研究部、大阪大学を経て、山口県立医科大学教授、広島大学原爆放射能医学研究所教授、オーストラリア連邦科学産業研究機構上級主任研究員、関西医科大学教授、ベルリン高等学術研究所客員研究員、京都精華大学教授、同学長などを歴任。京都精華大学名誉教授。

当初はオーソドックスな研究者であったが、オーストラリアでの研究生活を経た後、「反科学論」、「生態学」、「構造主義生物学」(池田清彦と共に)、「差別論」、「旧ソ連沿海州における植民地主義批判」など、多彩な分野での著作・評論活動を行っていた。構造主義生物学は今西進化論の検討からの発想でもある。

2011年3月25日午後9時21分、肺炎のため大阪府茨木市の病院にて死去[4]。90歳没。

著書
編集
『理論生物学 動的平衡論』日本科学社、1947年
『生物学の革命』みすず書房、1960年
『生命の探求 現代生物学入門』中公新書、1966年
『反科学論 ひとつの知識・ひとつの学問をめざして』みすず書房、1973年 のちちくま学芸文庫
『あなたにとって科学とは何か 市民のための科学批判』みすず書房、1977年
『発生現象の細胞社会学 紋様形式の理論』講談社、1979年
『今西進化論批判試論』朝日出版社〈エピステーメー叢書〉、1981年
『日本人と生物学』工作舎、1981年
『科学者は変わったか パラダイム転換か自己発見か』朝日出版社、1981年
『バイオテクノロジー批判』社会評論社、1982年
『私にとって科学とは何か』朝日選書、1982年
『私にとって科学批判とは何か 思索と革命をつなぐために』サイエンスハウス、1984年
『構造主義生物学原論』朝日出版社、1985年
『<情報>を越えて』河合ブックレット、1987年
『反差別論 無根拠性の逆説』明石書店、1989年
『科学批判から差別批判へ』明石書店、1991年
『日本海の向う側 ソ連邦沿海州で考えたこと 環日本海の環境政治学』阿吽社、1991年
『われわれにとって革命とは何か ある分子生物学者の回想』朝日選書、1996年
『われらが内なる隠蔽』径書房、1997年
『比較サベツ論』明石書店〈明石ライブラリー〉、1998年
『オーストラリア発柴谷博士の世界の料理』径書房、1998年
『構造主義生物学』東京大学出版会、1999年
共編著
翻訳
関連項目
脚注
最終編集: 3 か月前、Calamvs Gladio Fortior
Wikipedia

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参加メンバー 2人
開設日
2024年5月7日

221日間運営

カテゴリ
学問、研究
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