小学校の運動は、あくまで「人のための修養」であったが、中学における人間と部活の主従関係は、学校次第。
高校以降の部活に至ってはこの主従関係はほぼ逆転している。
しかし、人を超えるための指導によって完全に操られてしまった人は、果たして、まだ「人」であるといえるのだろうか?
最悪の武力・・・。
極論すれば体育会が必要とするのは、「生きている人間」ではなく、「体育会員の結果や利用価値」という部品である。
人間の限界を超えた活動の負荷によって、体育会員は死に至ることもある。
しかし、体育会員が死んでも、その問題が浮上しない限り、体育会は活動し続けるのだ。
全国の体育会運動部の問題が浮上する現在。
その歴史の影にはたくさんの犠牲と闇に葬られた事実がありました。
忌まわしい事件やおぞましい事件は闇に葬りたくなるのは学校関係や組織の特徴でしょう。
体育会運動部の歪さをどんどんここで訴えましょう!
ただし、真実を訴えるのとけなすのは違いますのでご注意ください。
また逆に体育会運動部の良さがあればそこも重視し、
語り合いましょう。
表現の自由はあります。
誰もが運動部の問題点を真剣に考えるように
また誰もが快く武道をたしなむことが出来るように
語り継ぎましょう。
天