福井県嶺南原発(原子力発電所大県)
福井県データ
805,727人
(推計人口、2011年2月1日)
内嶺南
149,977人
(2006年3月31日)
福井県年間電気消費量(平成22年度)
873,047万kWh
関西電力HPより抜粋
福井県は、原子力発電量第1位!
福井県の若狭地方には原子力発電所が数多く立地し、平成元年度から平成19年度まで日本全体の原子力発電による発電量は第1位にランクされています。平成21年度においても発電量の約27%を占め、そのほとんどが関西に送電され、関西の電力消費の約半分を供給しています。
※補足、ちなみに原子力発電量第2位は福島県。
3位は原発再開(やらせメール)でもめた九州電力の佐賀県
■敦賀発電所(つるがはつでんしょ)
2基【日本原子力発電】
福井県敦賀市明神町1
◆1号機
出力35.7万 kw
燃料 低濃縮ウラン約 52 t / 年
着工日
1966年4月22日
営業運転開始日
1970年3月14日
◆2号機
出力116万 kw
燃料 低濃縮ウラン 約 89 t / 年
着工日
1982年4月20日
営業運転開始日
1987年2月17日
●過去の主なトラブル
1981年4月 福井県の定期モニタリング調査で、海藻から異常に高い放射能が検出された。調査の結果、敦賀発電所一号機の一般排水溝から放射性物質が漏洩したことが分かった。漏れた放射性物質はコバルト60であり、平常時の約10倍の量が検出された。さらに調査を進めたところ、一般排水路の出口に積もった土砂からも高濃度のコバルト60とマンガン54が検出された。しかし、一般排水路は放射能とは関係のない配水系統であり、ここからは放射性物質が検出されるはずがない場所であった。結局、放射性物質が検出された原因は、原子力安全委員会の調査によると放射性廃棄物処理旧建屋の設計・施工管理上の問題に、運転上のミスが重なったからとされた。
しかし、コバルト60とマンガン54が検出された原因は、この漏出が判明する前月に大量の放射性廃液がタンクからあふれるという事故が起きていたからであった。そして敦賀発電所はその事実を隠蔽していたことも同時に明らかとなった。つまりいわゆる「事故隠し」が行われていたのであった。この「事故隠し」によって、これ以降の日本での原子力発電に対する不信感が大きく芽生えるきっかけになったと考えられている。
2010年7月21日、日本原子力発電は、敦賀1号機で、再循環ポンプなどの溶接部分について点検が一度も行われていなかったことが明らかになったと発表した。その溶接部分は、冷却水を炉心に送り込む原子炉再循環ポンプや原子炉圧力の排水用配管の弁などである。第33回定期検査(2011年に実施する予定)で再循環ポンプ系の配管を取り替える工事の準備段階で判明したという。
2011年1月24日、経済産業省の原子力安全・保安院は、敦賀原発1号機で、複数ある緊急炉心冷却システムの1つが機能しない状態で約1か月間運転していたとして、日本原子力発電を厳重注意した[10]。2010年12月の検査時には正常に動作していたが、2011年1月の検査では正常に動かなかった。
2011年5月2日、敦賀2号機の1次冷却水で放射能濃度上昇。
2011年5月7日、敦賀2号機原子炉手動停止。
2011年5月9日、敦賀2号機 放射性ガス漏洩。
2011年6月3日、日本原子力発電は、敦賀原発2号機で5月8日に排気筒から微量の放射性ガスが漏れた問題で、放射性ガスが通る配管に33カ所の微小な穴が開いていたこと、及び、1987年の運転開始以来、この配管の点検をしていなかったことを明らかにした。
■美浜発電所(みはまはつでんしょ)3基【関西電力】
福井県三方郡美浜町丹生
◆1号機
加圧水型軽水炉
主契約者;WH 三菱原子力工業
定格電気出力34万キロワット
定格熱出力103.1万キロワット
運転開始日1970年11月28日
◆2号機
加圧水型軽水炉
主契約者;三菱原子力工業
定格電気出力50万キロワット
定格熱出力145.6万キロワット
運転開始日1972年7月25日
◆3号機
加圧水型軽水炉
主契約者;三菱商事
定格電気出力82.6万キロワット
定格熱出力244万キロワット
運転開始日1976年3月15日
●過去の主なトラブル
1973年3月(日付不明) 美浜1号機において第三領域の核燃料棒が折損する事故が発生した。しかしこの事故は当初外部には明らかにされず、関西電力は秘密裏に核燃料集合体を交換しただけであった。
この事故が明らかになったのは、当時、雑誌『展望』に「原子力戦争」(講談社文庫に収録)を連載していた田原総一朗に宛てて内部告発[7]があったためである。田原はこれを「美浜一号炉燃料棒事故の疑惑」(『原子力戦争』講談社文庫に収録)として明らかにした。これを受けて、衆議院議員の石野久男が衆議院科学技術振興対策特別委員会などで追求した結果、原子力委員会はこの事故を認めた。しかし、原子力委員会が認めたのは1976年12月7日であり、事故が発生してから4年近く経って後であった。
内部告発では、この事故は核燃料棒が溶融したものと指摘していたが、原子力委員会の発表ではこれは溶融ではなく「何らかの理由で折損」したものであり、「重大な事故ではない」としている。しかし、田原はこの発表に対し「原子力戦争」の追記で、「この発表の内容はもとより発表前後の経過にも、つじつまの合わない点や新たな疑惑が数多く指摘されており」と疑問を投げかけている。
1991年2月9日 2号機の蒸気発生器の伝熱管1本が破断し、原子炉が自動停止、緊急炉心冷却装置(ECCS)が作動する事故が発生した。この事故は日本の原子力発電所において初めてECCSが実際に作動したものである。
事故の原因は、伝熱管の振動を抑制する金具が設計通りに挿入されておらず、そのため伝熱管に異常な振動が発生し、高サイクル疲労(金属疲労)により破断に至ったものと判明した。
この事故により微量の放射線物質が外部に漏れたが、周辺環境への影響はなかったと発表されている。また、美浜沖の海水から、通常なら数Bq/Lより少ないトリチウムが、2月10日に470Bq/L、2月18日にも490Bq/L検出された。[8]
2003年5月17日 2号機の高圧給水加熱器の伝熱管に2か所の穴が開いた。放射性物質の外部への漏れはない。
2004年8月9日 3号機二次冷却系の復水配管(第4低圧給水加熱器〜脱気器間)から蒸気漏れ。事故当時、現場のタービン建屋内では、定期点検の準備のため、211人が作業をしており、問題の配管室内には11人の作業員がいた。事故発生に伴い、11人のうち5人が死亡、6人が重軽傷を負った。事故直後に死亡した4人の死因は全身やけど(熱傷)および、ショックによる心肺停止で、ほぼ即死に近い状態だったとのこと。また、事故から17日目の8月25日には、全身やけどを負っていた作業員が死亡し、この事故での死者は5人となった。
なお、美浜発電所の加圧水型原子炉は、放射性物質を一次冷却系にとどめることが出来る設計のため、この事故での汚染や被曝者はいない。事故の原因としては、配管の磨耗による破損である可能性が高い。この配管は設置時は肉厚10mmであったが、高温高圧の冷却水によって磨耗し(これを減肉とよぶ)、事故当時は肉厚1.4mmにまで減肉していた。本来は肉厚4.7mmまで減肉してしまう前に予防措置をとるという内部規則があったにもかかわらず、この個所は稼動以来一度も点検さえ行われておらず、関西電力の危機管理能力が問われている。運転中の原子力発電所における死亡事故としては国内初である。また、原子力関係施設での死者は、東海村JCO臨界事故の臨界事故以来7人目となった。ちなみに冷却系配管の減肉自体は原子力発電所固有のものではなく、火力など他の冷却水配管を用いるプラントでも、管理が不十分であれば同様の事故が起こりうる。放射線被曝による死亡事故ではないため、国際原子力事象評価尺度での事故評価は「0+」(後に安全管理不適切として「1」に変更)となっている。
しかし、この事故は原子力施設における労働災害として極めて重大であり、国内の原発事故史上初の「重大災害対策本部」が設置される事態となった。その後、原子力安全・保安院、厚生労働省福井労働局、警察当局が原因究明や関西電力の安全管理体制と責任について調査している。さらに、原子力安全・保安院によって全国全ての原子力発電所、火力発電所についても調査し、不備があるところは指導をすることになった。
■大飯発電所(おおいはつでんしょ)4基【関西電力】
福井県大飯郡おおい町
◆1号機
加圧水型軽水炉
主契約者WH 三菱商事
定格電気出力117.5万キロワット
定格熱出力342.3万キロワット
運転開始日1979年3月27日
◆2号機
加圧水型軽水炉
主契約者WH 三菱商事
定格電気出力117.5万キロワット
定格熱出力342.3万キロワット
運転開始日1979年12月5日
◆3号機
加圧水型軽水炉
主契約者三菱重工業
定格電気出力118万キロワット
定格熱出力342.3万キロワット
運転開始日1991年12月18日
◆4号機
加圧水型軽水炉
主契約者三菱重工業
定格電気出力118万キロワット
定格熱出力342.3万キロワット
運転開始日1993年2月2日
●過去の主なトラブル
2005年12月22日午前8時50分頃、大雪と強風のために送電線にトラブルが発生し、自動停止した。
2011年(平成23年)07月16日、大飯原発で調整運転中の1号機で、C−蓄圧タンク圧力の低下により同機の運転を手動で停止したと発表した。
■高浜発電所(たかはまはつでんしょ)4基【関西電力】
福井県大飯郡高浜町
1号機
原子炉形式: 加圧水型軽水炉
運転開始: 1974年11月14日
定格電気出力: 82.6万キロワット
2号機
原子炉形式: 加圧水型軽水炉
運転開始: 1975年11月14日
定格電気出力: 82.6万キロワット
3号機
原子炉形式: 加圧水型軽水炉
運転開始: 1985年1月17日
定格電気出力: 87.0万キロワット
4号機
原子炉形式: 加圧水型軽水炉
運転開始: 1985年6月5日
定格電気出力: 87.0万キロワット
●過去の主なトラブル
1999年(平成11年)、3号機に使用予定だったMOX燃料ペレットにデータ改ざんが発覚した