シーランドのコミュ二ティです☆
シーランドのことを少しだけでも知っている人、
これから知りたい人、
シーランドの話を聞いて腹筋崩壊した人、
集合〜☆
【シーランドの歴史(ウィキペディアより)】
<建国編>
・第二次世界大戦中に実際に使用されていた要塞である。
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・戦時中は150から300人ものイギリス海軍兵員が常時駐留していたが、大戦終了後に要塞は放棄された。
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・元イギリス陸軍少佐で海賊放送の運営者だったパディ・ロイ・ベーツが当時イギリスの領海外に存在したこの要塞に目をつけ独立宣言を発表。
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・要塞を「シーランド」と名付け、自らロイ・ベーツ公と名乗った。
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・イギリスは強制的に立ち退かせようと裁判に訴えたが、イギリス司法の管轄外とされた。
<クーデター偏>
・1978年に、ロイ・ベーツ公はカジノの運営を計画し、西ドイツの投資家アレクサンダー・アッヘンバッハ(Alexander G. Achenbach)を首相に任命した。
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・ところが、アッヘンバッハらはクーデターを画策し、マイケル・ベーツ公子(現摂政)を人質に取ると、ロイ・ベーツ公を国外へと追放した。
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・英国へと渡ったロイ・ベーツ公は、20名程の同志を募ると、ヘリコプターを使用しての奪還作戦を行い、これを成功させた。
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・アッヘンバッハらには、シーランド公国側から7万5千マルクの罰金が命じられた。
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このため西ドイツ政府はイギリス政府に仲裁を依頼したが断られてしまい、やむなくシーランド公国へ外交官を派遣して交渉を行うこととなった。一国から正式に外交官が派遣されるという事態に、ベーツは自国の正当性が認められたものと喜び、罰金の問題は立ち消えることになった。
その後・・・
クーデターが失敗に終わり、国外へと追放されたアッヘンバッハらは、西ドイツへと戻ると、アッヘンバッハを枢密院議長(Chairman of the Privy Council)として擁立し、シーランド公国亡命政府の樹立を宣言、シーランドの正統な権利を主張した。1989年にアッヘンバッハ枢密院議長が健康上の理由から引退すると、ヨハネス・ザイガー(Johannes Seiger)が首相兼枢密院議長(Prime Minister and Chairman of the Privy Council)として後を継いだ。1990年には、シーランド公国亡命政府としての独自硬貨の発行も行っている。
<近年におけるシーランド>
2006年6月23日、老朽化した発電機から火災が発生(TOP画)したが、同6月25日にはベーツ夫妻が国土に戻り、7月末には発電機や焼失した配線系統の復旧が完了した。
<行政区分>
領土全体が首都である。首都はロイ・ベーツ公もしくはマイケル・べーツ公が直接統治していると思われる。
<地理>
・360度のオーシャンビューが売りだが、Aデッキの発電機の振動がすさまじく、住環境はあまりよくないようである。
・国土面積は207?とされている。国土が極端に狭い。バチカン市国より小さい。
・イギリスは1987年10月1日、領海を従来の3海里(約5.5km)から12海里(約22km)へと拡大する旨を宣言した。これによりシーランド公国はイギリス領海に含まれるはずであったが、その前日(9月30日)にシーランド公国も自国の領海を12海里へ拡大すると宣言し、シーランドがイギリス領海に取り囲まれる(公海と途絶する)事態は回避された。