ディミトリ・ミトロプーロス
Dimitri Mitropoulos
1896.3.1-1960.11.2
アテネ生まれのギリシャの巨匠で、若くしてブゾーニの教えを受け、ピアニスト指揮者として活躍を開始した。特に1930年のベルリンで、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を弾き振りで演奏して、一夜にして名声を世界に轟かせた。37年には渡米して、ミネアポリス響の音楽監督に就任、さらに49年にはストコフスキーと共同で、ニューヨーク・フィルの指揮者陳に加わり、50年には単独で音楽監督に就任した。58年にはバーンスタインに地位を譲り、以後はフリーの立場で指揮活動を続けていたが、60年の11月2日にミラノのスカラ座で、マーラーの交響曲第3番のリハーサル中に、心臓発作を起こして急逝した。
ミトロプーロスはニューヨーク時代には、「耳の化物」と楽員から恐れられ、第2ヴァイオリンの最後のプルトでミスを犯しても、直ちにそれを指摘してみせたという。彼は持ち前の耳の良さを武器にして、複雑な現代音楽を度々手がけた。ベルクの《ヴォツェック》の最初のレコードの指揮者はミトロプーロスだったし、ニューヨーク・フィル時代にもスタンダードな名曲のほか、多くの20世紀音楽を勇敢に録音した。その意味で彼は、ミュージシャンズ・ミュージシャンの典型だった。