関東発アマチュアお祭りバンド
どこにいても
何をしても
離れていようと
爆発的に暴れられる
祭りのような気分になれる
そんな関係をこう呼ぶのでしょう
「かざぐるまつり」
【Member】
Vocal/Guitar? 白井 瑠津子 歌唄い
Vocal/Guitar? 中山 千沙都 6弦と歌
Guitar?/shut 折原 一輝 6弦と暴隊
Bass/Co/boke 英 希望 4弦とボケ
Guitar? 吉田 大祐 6弦と美声
StudioProducer 眞鍋 昭大 作曲と音響
2010年3月、白井と折原がマイミクになったのを
きっかけに「バンドやろうぜ!!」と、折原の一声で
前進していくことを決意。
一ヶ月間の間、
それなりに連絡を取ってはいたが
白井がバンドメンバーを探していたか、というと
それは定かではない。
ある日、オリジナルである「Cotton candy」(前GFG)
と「Nameless」(前名無し)を聴いてもらうも
反応いまいち。さてどうしたものかと少し途方に暮れる日々。
音楽繋がりの白井と英が元々交流があった為、勧誘
マイミクとして折原と英は少し交流があったので飯に誘った
この時、英は、折原の熱狂的ファンであったことは
あまり知られていない。
英が「是非やらせてほしい(オリジナル)」
と言ってくれたので、正式にベースとして加入。
英にも白井に聴いて貰った2曲を聴いてもらうも
やはり微妙で少し寂しかったのを覚えている。しかも鮮明に
少し時間が空き、ドラムを探す旅にでるもの
中々捕まらず途方に暮れていた時、富山からのメッセージが
折原の元に送られてきて、初対面にも関わらずスタジオ入りを約束した
(折原と富山だからこそ実現できたこのときの約束)
案の定、初対面で会話爆発
スタジオ爆発
「運命」を感じて即決したのを今でも鮮明に覚えている。
その日のスタジオほど、カオスだった時間はないだろう
「よく考えてくれていいですよ」
と、こぼす富山を無理矢理引っ張り、正式にメンバーの一員となった。
これもあまり知られていないが、富山にいきつくまで
5人ものドラムを入れ替えしていた。
大変だった。一時期諦めようともした。
その時白井はバイトをしていた。
2010年6月22日
全員参加でのスタジオではその片鱗を互いに見せつけた
わずか3曲のみで3時間ぶっ通し
汗だくになって全員が壊れた
帰りのファミレスでご飯
互いに「やっていこう」と、意思表明し
メールでのやりとりがいくつかあり
「かざぐるまつり」が結成された。(名付け親は富山)
その後、折原が引っ張ってきた(無理矢理)
中山をギター?、VOとして迎え、現在の形に
カラオケにいっても5人だけでライブ風になってしまう
バンド名の由来はここから
更に更にスタジオプロデューサー(格好良すぎる名称)
の眞鍋をスカウト(一回も会わずに意気投合し)
作曲者として、録音係りとして加入
またその更に半月後
「何かに打ち込みたい」精神で吉田が意思表示
その美声とギターだけではなく、熱い思いできてくれたので
加入。
5枚刃から6枚刃
6枚はから8枚刃に変わったかざぐるまつり
綺麗に回れるように
美しく音を奏でて回れるように
全員一丸となって進んで逝きたい。
がしかし
折原が一身上の都合で一人関西にいってしまったのは内密である。
【呼び名&年齢】
白井←るーちゃん、るっちゃん(変態)21歳
中山←ちぃちゃん 18歳
折原←かず 23歳
英 ←えいにぃ、はなっち←富山のみ 25歳
吉田←だいすけ 21歳
眞鍋←まなべ、あっくん 22歳
【活動】
THE BACK HORN
DOES
RADWIMPS
Asian Kung-Fu Generation
東京事変(予定)
のコピーをやらせてもらってます!!
かざぐるまつりのオリジナルとして
1stミニアルバム 「Festival pinwheel」
(全6曲を独自でREC開始)
「誰かに大切なことを伝えたい」
「ありきたりな歌でもいい、皆と共感したい」
を、モットーにオリジナルを煮詰めていきます。
現在、作詞作曲は折原が手がけている
本人の感覚のみで行っている為に中々進まないのが現状
(離れているからという理由が一番)
実際、今年2月に作って温存してた「Cotton candy」は
今年11月に初めてベースが投入された
これからだが少しずつ進んでいきたい
かざぐるまつりHP
http://