先日、大学野球を引退したばかりですが明治大学の人気者にリクエスト集中。ファンの声に応え、満を持して登場「矢島賢人の進化に夢中」。
思えば昨年の秋、矢島選手の先輩・小道選手が引退直後、私設応援団に対して今後多大な応援を送って欲しい後輩として中村選手の次に挙げたのが矢島選手であった・・・・
群馬県高崎市出身、桐生第一高校→明治大学
桐生第一高校3年生の夏、群馬県大会決勝の延長13回、3番に座った自らのバットで甲子園行きを決めるサヨナラ安打を放つ。(その様子はhttp://
その年の桐生一高は、甲子園で佐賀商業を相手に9回2死からの大逆転ゲームを演じるなど「矢島のチームにドラマ有り」(プラ10さん談)と言までわれている。
明大同級生の荒木選手が外野を守らされた当初、矢島選手のグローブを借りて使っていたことはあまり知られていない。
大学3年の秋季リーグ戦で東大相手に結果を残すとその後は主力としてチームに貢献。実に平成8年以来の秋季リーグ戦優勝を明治にもたらした。
※この優勝に関してニッカンスポーツは「棚ぼた?」という見出しで記事にしていましたが、早慶戦が最終週に固定されているにも関わらず早慶戦の結果待ちで優勝すると棚ぼたと表現されるのはとてもおかしなことです。
棚からぼた餅という諺は「自分は何も苦労や努力をしていないのに思いがけないところから幸運が舞い込んでくる」という意味ですので「苦労や努力をしていない」というニュアンスが含まれるこの諺を堂々と見出しに使った恥知らずの新聞社に強烈な苦情の電話を入れたのは・・・
大学ラストイヤーは副主将にも就任。迎えた今春リーグ戦、明治大学野球部で伝統的に右のスラッガーが付けるとされる25番を付けライトに完全定着。開幕から絶好調だったが、シーズン途中で徐々に成績を落とし始める。
これに巨匠・プラ10さんは「4番の矢島に犠打させてわざわざ調子狂わすようなことしてるからこんなことになるんだよ!」と激怒していたという。
調子の良し悪しで目まぐるしく変わってしまう打順に困惑しながらもベストナインを獲得。それでも「4番を打ちたい!」とシーズン途中で調子を落としたことなど、反省することを忘れなかった。
そして迎えた今秋、大学野球最後のリーグ戦を矢島選手は調子を落としてシーズンを迎えたように見えたが、実は右手首を痛めていた。それでも必死のプレーを続け、スタメンを外されても出番を窺いつつ裏方としてチームに貢献する姿でファンの心を掴み続けた。
シーズン終了後は「自分が不甲斐ないせいで勝てなかった」と自分を責め続け、チームメイトに謝り続けたという責任感も持ち合わせる矢島選手。矢島選手は普段のニコニコした優しい人柄からは想像もできないほどの熱い闘志を持って試合に臨み、貢献しようとしている。
「大体矢島はね、良い指導者にさえ出会えればプロでやっていける逸材だよ?GG佐藤とか後藤武敏を余裕で超えるよ!」(プラ10さん談)と、(自称)野球のプロの評価も高い。
また管理人が矢島選手の某先輩と明治の野球の話になると必ず「ヤジ打った?」と質問されるように先輩からもとても可愛がられている。
外野の守備に着く際、愛用する黄色フレームのレーダーを付けて全力疾走していく大食漢の矢島選手を社会人野球の舞台でも応援できる我々は幸せだ。
3年時は守備に若干の不安があったものの、4年の秋には大学の同期・山口選手の御株を奪う見事なスライディングキャッチを連発。守備でもチームを盛り上げていくまでになった。
ラストイヤーとなった2010年の春季リーグ戦ではベストナインも獲得。
どこまでも進化していく矢島選手から今、目が離せない!(カーネルさん談)
富士重工業で野球継続。目指すは富士重の4番。そして2011年都市対抗を制覇し選手権との実質2冠獲得+個人としては若獅子賞を目指す。
そして2012年、スポニチ・都市対抗・選手権の三冠を手土産に西武ライオンズへの入団を目論む。
プロ入りを果たした後は一足先にプロ入りするだろう後輩藤岡(桐生一→東洋大)打ちを明言。
困ったときには