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静岡県富士市出身。3人兄弟の長男である。静岡県富士市立田子浦中学校、静岡県立富士高等学校より明治学院大学法学部に進学し卒業。大学1年生の時から戦場に取材に行っており、その影響で大学を2回留年した。試験の時だけ帰国していたという。当時は飲食店や写真撮影のアルバイトで貯めた資金で取材をしていた。
元々は弁護士を志していた。しかし、中学生のころのcmで国際ジャーナリストの文字が出て中学生だった渡部陽一が「国際ジャーナリストてなんだろう」と国際ジャーナリストに興味を持った。大学在学中に旅行者としてピグミー族に会いに行く為に、アフリカコンゴ民主共和国に行ったところルワンダの少年兵に襲撃され、カメラを含めた私物全てを差し出すことで何とか助かった。帰国後、周囲の人間にその被害と少年兵がいる現実を説明したが理解してもらえなかったことから、その場の状況を伝えられるカメラの必要性を痛感し、戦場カメラマンとなることを決意した。平均して1年の半分は海外に滞在して仕事をしており、ルワンダ紛争、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、イラク戦争など、130の国と地域の紛争地域を取材している。EMBED(従軍記者)として紛争地域に赴く。雑誌、テレビ番組などで作品を配信している他、ラジオ番組でも現地から直接リポートをしている。
2010年頃からテレビ番組への出演を始め、TBS系のバラエティ番組『笑撃!ワンフレーズ』で知られる様になった[7]。渡部本人によると、テレビ出演は戦場カメラマンとしての活動を知って貰うのと活動費を稼ぐ目的があるとのこと。
身長180cm、体重65kg、靴のサイズ26.5cm。血液型A型。
使用しているカメラはCanon EOS。カメラは「命の次に大切」だと述べている。カメラに太陽光が反射するとそれが銃だと間違われて、射撃されることがある為、レンズ以外の部分を黒いテープで巻いている。戦場に5kgの大型日記帳を持ち込んでいるが、耐久性を強化する為、レンガを付着させている。イスラム圏での取材のため、口周りに髭を生やしている。トレードマークとなっているグレーのベレー帽は1998年頃に妹からプレゼントされたものである。カメラマンとして力を入れている一つが戦渦の子供達を撮影することで、今まで武器を携えている少年兵や危険に晒された通学路を通いながらも笑顔を見せる子供たちを撮影してきた。いきなり写真を撮っても警戒され笑顔を見せてくれない為、「I am ブルース・リー」といって気を引く。ブルース・リーを選んだ理由は、外国の子供が良く知っている東洋人である為である。
「恐怖により取材の挫折・帰国を繰り返したが、刺激のない日本にいると気分が塞いでしまうため戦場に向かう」との旨を著書で述べている。植村直己の「冒険とは生きて帰ることである」という言葉に感銘を受け、自身は「戦場カメラマンとは生きて帰ること」を信条としている。戦場に行く前に戦場カメラマンの生還するジンクスとして遺書を毎回書いていく。
低い声でゆっくりと話す口調とシリアスな話題も聞いている側を重苦しく感じさせない話術が特徴である。本人曰く、幼い時から口調は変っていない。定期的に出演しているバラエティ番組『笑撃!ワンフレーズ』での発言は、番組司会者の千原ジュニアの判断で、その都度着ボイス化されている。あまりに丁寧にゆっくり喋る為、生放送の番組に出演した際は司会者が苦労することが多く、「生放送泣かせ」と称される。
趣味は海釣り、映画鑑賞。好きな映画は『ゴースト』『フラッシュダンス』『トップガン』『ニュー・シネマ・パラダイス』。好きな食べ物はフライドポテト、サンドイッチ、アイスクリーム。好きな音楽はジャパニーズポップス関連で矢沢永吉、SOMEBODY'S NIGHT、SPEED、White Love、絢香など。
2009年に、横浜の知人を介して知り合った女性と結婚。2010年に第一子の男児が誕生。なお、誕生したのは2010年6月29日放送回『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ)の収録日だった。
困ったときには