吉田満の「戦艦大和ノ最期」・・・
第二次大戦の終戦直後、著者によれば
「ほとんど一日を以て書かれた」といいます。
著者は日本海軍の当時最新鋭の兵器「電波探知器」を操作する、
副電測士として「戦艦大和」に乗艦していました。
この書は、世界最大の不沈艦と誇った巨艦の終焉となった、
「天一号作戦」での経験が綴られています。
格調の高いカタカナによる文語体は、
現代の若い読者にはなじみがないかもしれません。
しかし、著者もあとがきで述べているように、
それは、
「死生の体験の重みと余情とが、日常語に乗り難い」
「戦いというモノの持つリズムがこの文体の格調を要求する」
ということだと思うのです。
どういうわけか、私はこの本から縁が切れないのです。
吉田氏よりは後輩ながら、
やはり学徒出身の海軍士官であった父の書棚に、
初版本を見出して以来のことです。
平家物語の「祇園精舎の鐘の音諸行無常の響きあり」
という一句に惹かれるように、
何かというとこの書を手にします。
「あの戦争」をどう評価するのかという問題とは別なことです。
死の文学ですが、空襲や原爆などの死ではなく、
戦場となった国々での死でもない、
それは著者自身が、
「翻ッテ、無数ノ戦災ノ死ヲ想フベシ」
「特攻ノ死コソ、遥カニ容易ナリ」と、
自戒しています。
あくまでも私的にですが、この書に接して心が静まるのを覚え、
日本人の不思議さに、改めて心打たれます。