助け合いの場:いじめと不良
これから書く事で、誰かが、あ〜、こんな経験した人がいるんだ〜、と共感し、そして、私にもこんなことがあった、とか、今こんな経験をしていて、辛い、とかもしあったらコメントしてみてください。そして、少しでも私の経験談を読んで、楽になっていただければ、と思います。
最近、過去をよく振り返る。不鮮明だった過去も、鮮明に見えて来た。
小学校4年、ミニバスケット部に入部。いつもいじめの対象になる子と分け隔てなく話していた。ある日、私もあの二つ上の先輩からいじめられる。私はただいじめを受けている人を、放っては置けないたちでした。この頃、優しい先輩にも出会い、優しい人と意地悪な人の違いを学んだ。
そして、人は怖いと思う人の言う事を聞き、いじめを見て見ぬ振りする人が多い事を知った。
私は絶対弱いものの味方でいる、と決めた。
小4夏、バスケ部退部。学校以外での楽しみを見つける。小学5年秋頃、一つ上の先輩全員が私のもとへ訪れる。チームに強い戦力が欲しい、と言われ、私はバスケ部へと戻る事になった。この先輩達がまた、しょっちゅう誰かを仲間はずれにするという行為を行っていた。私は先輩達みんな好きだったが、割合的に一人になってしまう事の多い先輩と仲良くなった。いつも一人でかわいそう、と思うといてもたってもいられなかった。その先輩は、ものすご〜く面白くて、優しい人でした。その先輩は中学へあがると、不良と呼ばれる存在になっていた。でも私は変わりなく先輩が好きだった。先輩も変わりなく私をかわいがってくれた。
同じクラスにいじめられる対象の子が、必ず一人はいた。見た目が白人のハーフの子や、お父さんが腹話術師で、きちんとした家に住んでいない子や、家が貧乏でお風呂に入れない子などがいた。その子達は友達さえ作れなかった。男勝りの私は、この子達を守りたい、と思い、話しかけたり、その子達の家へ遊びにいったり、色々できる限りを尽くした。高校生の時、この中の一人に出逢い、とても感謝されていて、ありがとう、と言われた。私のしてきた事は、間違っていなかった事を思い知った。
中学へあがり、バスケ部へ入りたかったが、小学校のときにバスケをしていた人達は、みなちがう部へはいり、自分だけバスケ部へはいるのに抵抗があった。自分の弱さを知る。勇気が持てなかった。部活にも入らずぶらぶらするのはよくないと、学校外でダンスのレッスンと塾へ行き始める。このときから、社会というものに触れ始める。学校の外は楽しかった。何のしがらみもない。中学生のとき、男の子達に好きだとか、付き合ってとか言われ始める。でも、私にはちょっといまいちわからない世界だ、と思った。知らず知らずのうちに、クラス全員から無視をされる事が増え始めた。(といっても一年間で、数えられる程度だったと思う。)クラスで仲が良かった子が、教えてくれた。私が権力のある男の子と付き合わないから、無視するようにみんなが言われた、とか、私が男の子に人気があるのが気にくわない、とかいう理由で、無視されている、と聞いた。私には全く理解できない世界だった。学校以外の楽しみのおかげで、嫌な事はすべて吹き飛んでいった。もちろん、他の友達が私と一緒にいてくれたおかげで、私はひとりぼっちになる事はなかったのだけれど。
高校へ進学。行きたかった高校は受験できず。。。家の事情というやつで。中学のときに、嫉妬は怖いという事を学んだ。だから、高校生の時、都内の劇団に入ったが、誰にも言わなかった。嫉妬されるのが嫌だった。踊りも都内まで通い始めた。そこで、モデル事務所のマネージャーにスカウトされる。学校では普通の高校生、そして外では同じ高校の人が全くいない世界で過ごし、自分は楽しかった。もちろん高校の同級生には言いたくなかった。ある日突然、私の高校生活を変える出来事が起きた。とても仲がいいと思っていた女の子が、放課後私と話したいといい、違うクラスへと連れて行った。そこには16人の同級の女の子が私を待っていた。あとは、想像できる通り、私はリンチに合う。実際手を出したのは8〜10人ぐらいだったが、みんなのいい分は、かわいいからっていい気になってんじゃね〜よ〜、男といつも仲良くしやがって、私はこいつが好きで、こいつはあいつが好きで、、、、これからは今言った男どもとは話しすんな、、、、、
こんなくだらない嫉妬がもとで、私はリンチにあった。私は負けず嫌いな性分で、絶対に泣かないと決めた。
しばらくして、よしえという女の子が、泣きながら、もういいよ〜、やめようよ〜、まいちゃんは何も悪いことしてないじゃん、と言って、とめた。
この子はごめんね、ごめんね、と何度もいいながら、私に泣きついた。
私は次の日から、私服で学校へ行った。
もちろん学校中が知る事となった。
このあと、親は学校へ怒鳴り込み、兄は私が外へ行く時必ず一緒だった。学校からは警察ざたにだけはしないでほしいと、何度も何度も頭を下げられた。する気はさらさらなかったが、、、あの校長や教頭の姿は、あまり見たいとは言えないものだった。生徒を指導する立場の人間が、何をそんなに謝っているのか、、、もっと私に違う接し方はないのだろうか、と思った。
私は学校の先生達に話さなければならなかった。私はあの首謀者達全員を卒業できるように配慮した。なぜなら、私はあの人達より強いという事を示したかった、からかもしれない。いや、もしかすると、そんな事を気にしている余裕がなかったのかもしれない。ところが、事もあろうに、首謀者が沢山いるクラスの担任とその首謀者の何人かが私のもとへきた。そして、その担任は私に、お前が全部悪い、と捨て台詞を残し、その首謀者達とどこかへ消えた。ショックだった。
そして、中学の先輩や不良だと言われる地元の人達が、このあと私を守る事となる。高校の同級生の男の子達や女の子達が、この理不尽な出来事に大丈夫、ひどいよね、と声をかけて来た。中には、ざま〜見ろと思った人達もいるに違いない。とにかく、このあと、私が好きだった地元でも悪のレッテルを張られた人と付き合う事となる。私はいつもプリンセス扱いだった。悪いことをしなくても、みんなは一緒に居てくれるだけでいい、と言ってくれ、私はみんなと仲良くなった。色眼鏡で人を見ない私を、みんなが好いてくれた。付き合っていた彼とは、プラトニックだった。あの頃、悪と言えば、みんな中卒で、私だけが高校生でした。みんなが特別に扱ってくれて、本当に得をしたと思います。不良と呼ばれる人達は、皆正直で優しい人達ばっかりだった。彼等と話していると、自分があの高校へ通っている事を忘れる事ができた。学校にいるときは、他の仲良しの友達と一緒に過ごした。
そして、私は劇団も踊りもモデル事務所も続けたまま、高校生活を終えた。中学のときに学校の外の世界を知っておいたおかげで、自分が死ぬ事がなかった。守ってくれる人達がいてくれたおかげで、自殺などを考える事もしなかった。たった一つ、やり残してしまった事は、高卒後の大学進学。このことがあって、大学へ行くことを考えなくなった。高2のとき、美術の先生に推薦の話しをもらっても、行く事を考えられなかった。高校では、自分は明るくするように務めた。強く見せるために、怖い、近寄りがたい、と思われたかった。この出来事のあと、私は変わった。本当は、ものすごく傷ついていた。人が私を避けているのがわかっていても、話しかける事をするようになった。なぜなら、その人の本当の気持ちを知りたかったから。でも、ほとんどの人は、本当の事は口に出さないんだな〜、という事がわかった。それでも、自分は正直で素直な人間でありたいと思った。今でも、この気持ちを持ち続けている。
高校3年のとき、期末試験中によしえが病気で死んだ。死ぬ2日前、また明日ね、と言い交わしたのが最後の言葉となった。私と話すときの彼女の顔は、いつも申し訳なさそうで、その顔は今でも忘れられない。いつもごめんね、と私に言う彼女はあの17人中で誰よりもあの日の事を後悔していたに違いなかった。私は彼女を忘れた事は今まで一度たりともない。
よしえが生きていたら、彼女とはきっとわかり合える大切な友人になっていたに違いないと思う。よしえの事を考えると胸が熱くなり、今でも涙が止まらなくなります。
何故だかはわからない。
彼女を認めてあげたい、という気持ちからなのかもしれない。
私は今これを書き終え、今まで口に出して人に言えなかった事をありのままに書く事で、少し自分の中に眠っていたものが起きだし、心の中を整理してくれているのを感じます。
学校へ行っている方で、悩んでいる方、卒業後誰にも言えなくて辛い思いをしている方、などなど、私でよかったらいつでも聞き役になります。そして、私の気持ちをすべて素直にお話しします。決して一人で悩む事のないように祈っています。
私、こんな経験をしましたが、いつも前向きにしっかりと生きてきました。
同じような思いの人を一人でも減らせるように、いつもみんなと仲良く明るく元気に、を務めやってきました。
死んでしまったら、味わう事のできない、素敵な事にも巡りあってきました。
私は10代の時、守ってくれる人達がいて、元気になれました。
だから、私に恩返しをさせてほしい。
今悩みを持っている人の力になりたい、と心の底から思っています。
皆様の経験した事など、綴ってみませんか?
書いてみて、すっきりしてみませんか?
嫌な思い出、大変だった事、感謝している事、何でもいいです。
みんなで書き込んで、同じような経験などなどをシェアーできたらいいな、と思います。
もし私に質問があれば、何でも聞いてみてください。
できるだけ、頑張ってお答えします。
コメントの中で、あまりにも否定的だと思われるものは、削除させていただきます。