ガブリエル・イバン・エインセ(Gabriel Iván Heinze, 1978年4月19日 - )は、アルゼンチン、エントレ・リオス州クレスポ出身のサッカー選手。セリエAのローマに所属している。主に務めるポジションは左サイドバックであるが、センターバックも務めることが出来る。ドイツ人の父ホルヘとイタリア人の母ティティナの間に生まれ、グスタボとセバスティアンの2人の兄弟がいる。ヴォルガ・ドイツ人の血を引いており、イタリアのパスポートを所持している。
本名 Gabriel Iv?瀟 Heinze
ガブリエル・イバン・エインセ
国籍 アルゼンチン・スペイン
生年月日 1978年4月19日
出身地 クレスポ
身長 178cm
体重 72kg
在籍チーム ASローマ
ポジション DF(LSB, CB)
背番号 5 利き足 左足
1996-1997 NW オールドボーイズ
1997-2001 バジャドリード
1998-1999→ スポルティング CP
2001-2004 パリ・サンジェルマン
2004-2007 マンチェスター・ユナイテッド
2007-2009 レアル・マドリード
2009-2011 マルセイユ
2011- ローマ
2003- アルゼンチン 72 (3)
《AS ローマ》
マルセイユは6月にクラブを去ることを発表していたが、2011年7月22日にイタリアのローマに加入することが明らかになった。これでスペイン、イングランド、イタリアの「三大リーグ」全てに在籍した選手となった。
《プレースタイル》
当たり負けしない屈強な体と3バックでも4バックでも完璧に適応するユーティリティー性が魅力。基本的にはセンターバックか左サイドバックでプレーするが、右サイドでもプレーできる。サイドバックとしてプレーする際は積極的に攻撃参加もするが、一番の魅力はディフェンス力。テクニカルな選手の揺さぶりには滅法強く、南米、スペイン出身のストライカーへの対応には絶対の自信を持つ。ほとんど機会はないがフリーキックも蹴ることができる。プレーが激しいため、ファウルが多い選手でもある。
《代表》
2003年のリビア戦において代表デビューを果たした。さらには同年の日本戦でもピッチに立ち代表での立ち位置を固めた。その後代表ではコパ・アメリカ2004、2006 FIFAワールドカップ予選に出場した。2004年のアテネオリンピックにはオーバーエイジ枠で出場。ロベルト・アジャラ、ファブリシオ・コロッチーニと半ば「反則トリオ」ともいわれた3バックで無失点での金メダル獲得に大きく貢献した。この年からはマンチェスター・ユナイテッドでプレーしている。2005年の大怪我により翌年のワールドカップ出場が危ぶまれたが、元気にピッチに立った。その翌年のコパ・アメリカ2007にも出場し、メキシコ戦では得点を決めている。2010 FIFAワールドカップの最終メンバーに選出され、その初戦のサッカーナイジェリア代表の6分、セットプレーからダイビングヘッドのゴールを決め、これが決勝点になった。
困ったときには