――――西暦2006年
東京都八王子市のサッカー場にて、当時一世を風靡していたスッコロリフェニックスとの激戦を突破し 東京蹴球協会に一躍名を轟かせた女児サッカーチームである。
その一年後、高校に入学した彼女たちを待っていたものは、喧嘩や暴力というサッカーよりも刺激的な快楽であった。
些細なトラブルにより渋谷センター街にて暴力事件をおこし、伝説のサッカーチームは解体となった。
のち湘南へ拠点をうつし、本格的な暴力団体――朝江組――へと姿を変えていった。
しかし上層部が勝手に行っていた牛肉の不正横流しの情報が流出、主犯格の組長(元監督)は実刑3年、上層部7人は実刑1年という刑に処されることとなる。
まだ暑い、2008年9月の頃であった。
服役中の生活や仕事というものは、なりふりかまわず暴力と金に溺れていた彼女たちにとってはつらいものであった。
しかし、あるときにふと気づく。
「この白いパンツに白い刺繍をすることは意味のないことだと思っていた」とのちに一人は語ったという。
「気づいたんだ。いつか、このパンツを白ブリーフだと思ってはいた人がこの刺繍を見つけたときの気持ちに。たしかに目立たないし、稼げないし、かっこわるい。でも俺はこの仕事に唯一の生き甲斐を感じる。」
彼女はせっせと動く手元を見つめながら、微笑み、たんたんとできあがっていくパンツを見送った。
その言葉を横で聞く、元組長 朝江氏のまぶたが濡れているように見えたのは、気のせいであろう。
桜が散ることも終えた、新緑の桜が眩しい朝であった。
しかしその判決を発端に内部抗争が勃発、朝江組は事実上の消滅となる。
当初300人を超えていた組員も足を洗わない者はもはや上層部7人のみとなった。
あと4人、あと4人いればまたサッカーができるのに。
そんな願いも空しく、また世の中を騒がせる事件が起きる――
11.14事件である。
2010年、上層部7人は児童ポルノ禁止法の強化に反発し、蹴球協会全員を率いて皇居のお堀に飛び込みアジ約30匹を放流するストライキを行なった。
これがいわゆる朝日新聞の一面を飾った 、『11.14事件』の全貌である。
結果ストライキは不完全燃焼に終わり、のち上層部の一人は「反省はしている、後悔はしていない。世の中を変えたかった」と述べている。
現在は高円寺を中心に舞台演劇、ジャズコンサート、即興作詞などのライブパフォーマンスを勢力的に行い、PTAの注目の的となっている。
股間を叩いたりはしているが、特にSM的な要素はない。
もし本格的な方から申請がきた場合、女児たちは一丸となりユッケが食べたいと言うであろう。
ココポテトキ
困ったときには