新選組は文久3年3月から慶応3年4月にかけての、たった5年のあいだに存在しただけである。それもこの国の歴史でただ1つの剣戟職能集団であった。
だが、それは以下に述べるように、決して「傭兵隊」という表現で言いつくせるものではなかった。
新選組は真剣での力技を劇場的な戦闘によってアピールし続けた。新選組への共感は徳川の武士道によって棚上げされていた剣戟を復活し、それを「向こう受け」させたことによっている。職能渡世は花柳界の芸者達人、歌舞伎役者、相撲取り、医師・・・などのように、大衆の「受けを狙わなければならない」
新選組は「真剣による剣戟」という堅気ではない職能を、都大路で存分に披露して、歌舞伎の荒事役者のような喝采を浴びていたのである。
鎌倉以来の武士の職分とは、鍛練と実践の積み重ねと、勇気と知力と体力、それに人にしみついた家々の血脈に支えられたものであり、何よりもすぐれた才能を必要とするものであった。
そうした武士の伝統的職分が、徳川の旗本八万騎によってではなく、農民・脱藩者・浪人からなる新選組によって250年の歳月を隔てて蘇った。が、せっかく蘇った日本の「武」が、武士の世を根こそぎひっくり返した薩長の近代戦術と近代兵器によって無残にも敗れた。
しかし新選組は、人々の「受けを狙う」エンターテイナーとして幕末の世に鮮やかな剣戟の火花を散らせた。それは幕末という闇の世の空に咲いた、打ち上げ花火であった。
が、その滅びが急速であるほどに、真剣の刃と刃が切り結ぶ花火の眩しさが、人々の記憶の中で鮮烈となり、やがて新選組の「兵どもの夢のあと」がさまざまに語られることになった。
参照 新選組武士道 「退くな!」の美学 P12〜14
著者 田原八郎 出版 燃焼社
言わずと知れた幕末の剣客集団新選組
幕末の動乱の中で5年間という太く短い時間を瞬く間に駆け抜けた新選組
彼らが信念を持って生きてきた道は多くの人たちに今なお語り継がれています。
そんな新選組が貫いてきた武士道について語ろうじゃありませんか!!
新選組の武士道とは一体何なのか?
新選組の武士道精神の源
多々意見はあるとは思いますがマナーを守って楽しく話しましょう!!
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