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藍田美豊

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詳細 2018年2月25日 08:05更新

   ・゚ ゜ ・゚** ゜*。*:.。藍田美豊。.:*・゚** ゜*・゚* ゜・゚

1983年にオーディションでミホ、レイコ、チーコの3人が選ばれ、少女隊結成。翌年の1984年8月28日に「FOREVER〜ギンガムチェックstory〜」でデビューする。そのプロモーションには総額30億円(一般的には40億円)をかけたとも言われた。CMでのコピーは「一心同体少女隊。」であった。
デビュー1周年の1985年8月、メンバーの一人であるチーコが椎間板ヘルニアにより脱退し、新メンバー・トモが加入する。初代引田天功の娘であった。
デビューアルバム「少女隊Phoon」は山口百恵、ピンクレディを手がけた都倉俊一がプロデューサーを担当、アメリカの一流ミュージシャンが参加してL.Aのスタジオでレコーディングしたもので、オール・アメリカロケのビデオ、写真集を同時に発売するなど、既存のアイドルとは一線を画した企画であったが、TVに露出しないという戦略が時期尚早だったのか、ブレイクまでには至らなかった(「少年隊」を擁していた芸能事務所から各種メディアへの圧力がかかり、活動がままならなかったという説もある)。少女隊の出演したグリコのCMがグリコ・森永事件の影響で1週間で打ち切りになるなどの不運もあった。
1985年からおニャン子クラブの仕掛け人、秋元康と手を組んでプロモーションの方向を大幅に変更。3枚目のシングル「素直になってダーリン」で「ザ・トップテン」に初ランクイン、TBSのドラマ「夏・体験物語」の挿入曲「Bye-Byeガール」でザ・ベストテンにランクインするなど、7枚目のシングル「もっとチャールストン」までヒット曲を連発した。1986年には代々木第一体育館と大阪城ホールを含むツアーを開催。
当時としては異例のアジア向けのマーケティングをデビュー初期から展開し、後期には日本よりアジア各国での人気が高かった。1985年に香港の映画にも出演、1986年と1987年には東南アジアツアーを成功させるなど、香港、タイ、シンガポール、マレーシアなどのアジア各国で人気を誇った。1988年にはソウルオリンピックのイメージソング「KOREA」を歌い、韓国でも大ブレイク。1988年8月18日には日本語の曲が禁止されていた韓国で、戦後初めて放送で日本語で歌った。
1989年に解散。3メンバーはそれぞれソロで活動していくことになった。
所属事務所のボンド企画は、岡田奈々・松本伊代・本田美奈子・大場久美子・高岡早紀らが所属する、女性アイドル中心の芸能プロダクションであったが、少女隊への多額投資が一因となり後に倒産した。
1999年にレイコ、チーコ、トモの3人で1999少女隊として再結成し、デビュー曲「Forever」をセルフカバーした。当初はミホも参加して4人で歌うことが企画されたが、妊娠していたため不参加となったという。

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