『入菩提行論』より
私は病人の医薬であり、また医者でありたい。病気が完治するまで、その看護人でありたい。
飲食の雨を降らして、飢えと渇きの災厄を滅ぼしたい。飢饉の時代においては、私は飲食となりたい。
貧しい衆生のために、私は不滅の財宝となりたい。いろいろの種類の日用品を、彼らの前に供えて奉仕したい。
すべての衆生の利益を成就するために、私は自己の身体と、財産と、快楽と、過去・現在・未来の三世に積んだあらゆる功徳とを、無頓着に捨て去る。
ニルヴァーナとは一切を捨て去ることである。そして私の心はニルヴァーナを求めている。もしニルヴァーナを達成するために一切を捨て去るべきであるならば、それを衆生に与えない手はない。
すべての生類に対し、この私の身は、彼らの欲するままにゆだねられる。彼らが常に我が身を打つもよし、罵るもよし、ゴミをあびせるもよい。玩ぶもよし、嘲笑うもよし、ふざけるもよい。私は身体をもう彼らに与えてしまったのだ。どうしてそれに私が思い煩う必要があろう。
彼らに幸せをもたらす行為ならば、何なりとも、(私を使って)彼らはなすがよい。
しかし、いかなる場合でも、私のせいで誰かに不幸が起こるということがあってはならない。
もし私によって、人々に怒りの思い、あるいは清らかでない思いが起こったならば、それは彼らにおいて、常に一切の利益を成就するための原因となれ。
私を誹謗し、その他損害を加え、また嘲笑する人々――これらすべての人々は、覚醒にあずかる者たれ。
よるべなき者のよるべ、旅行者の隊長と私はなりたい。彼岸にわたろうと願う人々の船、堤防、橋となりたい。
すべての生類に対して、灯火を求める者のためには灯火となり、寝台を求める者のためには寝台となり、召使を求める者のためには召使となりたい。
衆生のために、如意珠、幸福の水瓶、成就のマントラ、大いなる医薬、如意樹、如意牛と私はなりたい。
あたかも全空間に住する無量の衆生に、地・水・火・風の元素が、様々に役立つように、−−一切が(輪廻の苦から解放されて)静安とならない間は、空間に住するすべての衆生が私を享受しうるようになりたい。
往昔のスガタが菩提心を受持したように、そして菩薩の実践規律を定めの通りに遵守したように、そのように、世界の善福のために、私は菩提心を起こそう。そしてそのように、順序に従って、実践規律を実践しよう。
かように賢者は、清らかな喜びに満ちた心で菩提心を発して、さらに後に続く心を養い育てるために、次のように喜びの心を起こすべきである。
−−「今日、私の生は実を結び、人間としての存在は、得られがいのあるものとなった。今日、私はブッダの家に生まれ、今や私はブッダの子である」と。
そこで今や、己の家柄にふさわしい行いをなす人たちのなす業を、私はしなければならぬ。汚れのないこの家に、汚点が生じないように。
――シャーンティデーヴァ
困ったときには