「沖縄のチャップリン」との異名を持つ 戦後の沖縄を代表する漫談家。
小那覇舞天(おなはぶうてん):本名・小那覇全孝(おなはぜんこう)。[1897〜1969]
沖縄歌謡の原型を体現した フォーシスターズの産みの親である。
日本歯科大学卒業と言う経歴を持ち 沖縄(石川市:現うるま市)に戻ってからは歯科医を生業とする傍ら 口にはチョビヒゲ 手にはステッキと言う風貌で街を歩くと言う変わり者。
「命の祝い」(ぬちぬすーじさびら):命のお祝いをしましょう!を語り文句に 戦後に沈んだ家々を回り 「生き残った皆様が笑って生きて行かないと 戦の犠牲となった人々に申し訳が無いよ」と 諷刺の利いた唄と話芸を披露したと言う事は 今や伝説となって居る。
その時 彼にお供をして回ったのが 「ワタブー・ショー」を率いて 後の沖縄大衆芸能のパイオニアとなる 弟子の「テルリン」こと故・照屋林助であり 今や琉球民謡界の重鎮である「セイグワー」こと登川誠仁である。
テルリンは 舞天の漫談を継承したと言われ セイグワーは 舞天の唄を継承したと言われて居る。
このコミュニティは 焦土と化した戦後の沖縄大衆芸能の復興に奔走した 「ブーテン」こと小那覇舞天に就いて また広範囲には 沖縄の大衆芸能に関しての考察や情報交換 そして 偉大なる先達の意を継承・発展すべく「芸」を志す皆様との語らいの場になりましたら幸いかと思います。
尚 各種イベント・トピック等の書き込みは自由とさせていただきますので 皆様 末永く宜しくお願い致します☆☆☆