中山 雅史【なかやま まさし】
生年月日:1967年9月23日
出身地:静岡県藤枝市(旧志太郡岡部町)
身長:178cm
体重:72kg
血液型:O型
ポジションはフォワード。Jリーグディビジョン2(J2)・コンサドーレ札幌所属。Jリーグ選手協会名誉会長。ゴン中山の愛称で知られる。ほかに、中山隊長、隊長の愛称がある。
日本代表としてフランスワールドカップ・日韓ワールドカップにも出場。Jリーグ(J1)最優秀選手賞1度受賞、得点王2回、ベストイレブン4度受賞した経験を持つ。
妻は女優・タレントの生田智子で、2004年に第1子(女子)がいる。実父の中山儀助は元岡部町町議会議員である。
【選手としての特徴&略歴】
一番の強みは諦めないプレースタイル。ギリギリのボールにも反応してゴールしようと試み、少々のトラップミスも自らすぐに取りに行くプレーなど、当たり前のことができるプレイヤー。オフ・ザ・ボールの動きが良く、ゴールへの嗅覚が鋭い。日本人の中では泥臭いゴールが最も良く似合う「何かをやってくれそうな」ストライカー。
戦術眼もあり、パートナーを選ばない適応力の高さを持ち、また自己管理に努め、数々の負傷を乗り越え数々の記録を作ってきた。サッカー選手のフィールドプレーヤーの寿命は30代前半とよく言われるが、40歳を超えてもなおプロとして活躍する息の長さも魅力である。年齢を重ねるにしたがって若い頃のスピードはなくなったが、今度は巧みなポジショニング・動きでスペースを作り出したり、依然として強さを発揮する空中戦のポジショニングでチャンスを生み出すなど、プレーの奥深さは増していると言える。ただ、さすがに衰えもあるのか「フィールドを縦横無尽に駆け回る」と言われた運動量も近年は減った。また常にスタメンフル出場ということも少なくなり、途中交代での出場も増えた。
キャプテンシーの強さ、負けず嫌いな性格などチームを引っ張りつづけるだけのメンタル面の強さも特筆される。敗戦ムード漂うチームを一瞬で鼓舞できるカリスマ性と、ベンチにいるだけで安心できる存在感を持つと評され、日本代表にとっても長期にわたって精神的支柱であった。そして、今でも名波浩が「中山魂」と言うようにジュビロの魂であり、ジュビロの精神的な柱である。
2009年11月9日にジュビロから戦力外通告を受け、スタッフとして残留するよう要請された。しかし、現役続行に強い意欲を示す中山はこれを断り、移籍先を探した。ヤマハスタジアムでの最終公式戦となった11月28日の広島戦の後半途中から出場し、ラモス瑠偉が持つJ1最年長出場記録(41歳9か月5日)を更新(42歳2か月5日)。試合後には中山が挨拶を行ない、サポーターへの感謝と現役続行への意欲を表明した。最終節は出場機会は回ってこなかったが、試合後両チームのサポーターの声援に応え、1万5000人の拍手を浴びながらジュビロでの最後の試合を終えた。
退団発表後、ロアッソ熊本、FC町田ゼルビア、横浜FC、コンサドーレ札幌、V・ファーレン長崎、藤枝MYFCの6クラブが興味を示し、獲得の意思を表明。年俸提示は最も低かったが、「グラウンドに立つための体のケアを一番に考え」、施設や医療体制が充実しているコンサドーレ札幌への移籍を決断した。12月24日に開かれた移籍会見では、「現役生活が一番幸せ。辞めたり、諦めたりするのはいつでも出来る。無様な姿を晒すかもしれないが、それが僕のサッカー人生」と、あくまで現役にこだわり続ける姿勢を表明した。
【所属クラブ 】
1983年 - 1985年 藤枝東高校
1986年 - 1989年 筑波大学
1990年 - 2009年 ヤマハ発動機/ジュビロ磐田
2010年 - コンサドーレ札幌
【個人タイトル 】
1997年 - Jリーグベストイレブン
1998年 - JリーグMVP・Jリーグ得点王・Jリーグベストイレブン
1999年 - AFC年間ベストイレブン
2000年 - Jリーグ得点王・Jリーグベストイレブン
2002年 - Jリーグベストイレブン
日本サッカー界の宝!!!
魂のストライカー・中山雅史を熱く応援しましょう!!!