無いので作ってみました。
江戸時代の第119代天皇。
現在まで続く皇統の祖にあたられる御方です。
情報交換の場としてご活用ください〜
光格天皇 略記
在位 1780年1月1日 - 1817年5月7日
出生 1771年9月23日
崩御 1840年12月11日
陵墓 後月輪陵
父 閑院宮典仁親王(慶光天皇)
母 大江磐代(鳥取倉吉の大鉄屋岩室りんの娘)
閑院宮典仁親王(慶光天皇)の第六皇子としてお生まれになられ、
幼名を祐宮(さちのみや)。
聖護院に入寺され出家される予定であったが、
安永8年11月8日(1779年12月15日)にご危篤の後桃園天皇の養子となり、
儲君(立太子礼を経ない皇太子)に治定された。
そして安永8年11月25日(1780年1月1日)に践祚。
安永9年12月4日(1780年12月29日)に即位。
中世以来絶えていた朝廷の儀式の復興にご熱心で、
現在も続く石清水八幡宮や賀茂下上社への臨時祭など、
復興した神事も多くある。
また教育にも熱心で、現在の学習院の設立は
光格天皇の意志によるものであるとされる。
朝廷の権威の復権に努め、後の幕末の動乱期に
先進諸国に対し、日本が併呑される事がなかったのも、
光格天皇の打ち立てた意志が生きていたといっても過言ではない。
儀式、教育、権威の復権などの点で、近代天皇制へ移行する下地を
つくったと高く評価されている。
ちなみに最後の太上天皇でもあられる。
高山彦九郎との緑毛亀のエピソードなども有名である。
困ったときには