アウトゥーロ・フェラーリン(Arturo Ferrarin、1895年2月12日 - 1941年9月13日)はイタリアのパイロット。
1895年、ヴェネト州ヴィチェンツァ県ティエーネ生まれ。トリノで学び、ルイ・ブレリオと知り合った。1916年夏にパイロットとしての訓練を受け、第一次世界大戦で戦闘機のパイロットとして活躍した。
戦後は、パリ近郊のVillacoublayで曲芸飛行家として活動したり、アムステルダムの国際航空ショーに参加したりした。1920年2月14日から3月31日にかけて、グイド・マシエロ中尉(Guido Masiero)とともにアンサルドS.V.A.9機でローマ・東京間1万8000kmを飛行し(飛行時間109時間)、名声を得た。
その後は、アンサルド社のテストパイロットとして働く傍ら、1922年にはニース、1923年にはスペイン・ポーランドで曲芸飛行家として活動した。1925年にはヨーロッパ各地を巡回し、ベルギー国王の一家を搭乗させたこともある。1926・27年にはシュナイダー・トロフィー・レースに参加した。
1928年6月、カルロ・デルプレテ(it:Carlo Del Prete)とともに、サヴォイア・マルケッティの飛行艇S.64に搭乗し、周回無着陸飛行で(7,666km、滞空時間53時間37分)の記録を達成。ついで、同機でローマ郊外のモンテチェーリオからブラジルのナタールまで7,186kmの無着陸長距離飛行記録を樹立した。これにより、イタリアの Medaglia d'oro al valor aeronautico のほか、国内外で多くの賞を獲得した。1929年、"Voli per il mondo"(世界への飛行)を出版。
その後は、イタリアの航空会社の技術顧問を務めた。第二次世界大戦が勃発するとパイロットへの復帰を希望するが、1941年9月13日、ローマ郊外のグイドーニアの飛行場において、テスト飛行中に事故死した。
アリタリア航空は、所有するボーイング767型機の一機に「Arthur Ferrarin」と名付けている。
スタジオジブリのアニメ映画作品『紅の豚』の主人公ポルコ・ロッソの空軍時代の戦友であるフェラーリン少佐はこの人物がモデルとなっているとされる。