クラウディオ・アバド
(Claudio Abbado, 1933年6月26日)は、イタリア出身の世界的指揮者である。
1933年にミラノの音楽一家に生まれる。父のミケランジェロ・アバドはイタリア有数のヴァイオリンの名教育者であり、ヴェルディ音楽院の校長を勤めた。19歳の時には父と親交のあったトスカニーニの前でJ.S バッハの協奏曲を弾いている。
指揮者としてデビュー
ヴェルディ音楽院を経て1956年から、ウィーン音楽院で指揮をスワロフスキーに学んだ。1959年に指揮者デビューを果たした後、カラヤンに注目されザルツブルク音楽祭にデビュー。1968年にミラノ・スカラ座の指揮者となり、1972年には音楽監督、1977年には芸術監督となり1986年までそのポストにあった。
またイギリスでも1979年に、ロンドン交響楽団の首席指揮者、1983年には同楽団の音楽監督となり活躍した。1986年には、ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。1991年まで在任した。
ベルリン・フィル時代
1990年、マゼールなど他に様々な有力指揮者らの名前が挙がった中、カラヤンの後任として選出されベルリン・フィルハーモニー管弦楽団芸術監督に就任し、名実共に現代最高の指揮者としての地位を確立した。ベルリン・フィルとの組み合わせでの初来日は1992年(同行ソリストはムローヴァ、ブレンデル)。同芸術監督には2002年まで在任した。
アバド時代のベルリン・フィルについて、アバドの音楽的功績や指導力については評価はかなり様々である。これは今後後任のラトルのそれとの比較などにおいて、次第に定まってくるであろう。在任年間の後期の成熟期におけるベルリン・フィルとの録音として、ベートーヴェン交響曲全集や、ヴェルディのレクイエム、マーラーの交響曲第7番・第9番、ワーグナー管弦楽曲集、等々がある。
ベルリン・フィル退任以降
2000年に胃癌で倒れ以後の活動が懸念されたが、手術を受けて健康状態は持ち直し、ベルリン・フィル辞任後も新たな活動を続けている。2003年以降はルツェルン祝祭管弦楽団など、自身が組織した若手中心のオーケストラ(マーラー室内管弦楽団、モーツァルト管弦楽団等)と活動することが多い。
2006年にルツェルン祝祭管弦楽団と来日、ルツェルン・フェスティバル・イン・東京の一環としてサントリーホールにてオーケストラ公演が行われた。夏のルツェルンにての公演でも高い評価を得ていたブルックナー交響曲第4番の演奏がとりわけ評判となった。
人物
温厚な人柄で知られる。楽曲解釈は知的なアプローチをとるが、実際のリハーサルではほとんど言葉を発さず、あくまでタクトと身体表現によって奏者らと音楽を作っていくスタイルだという(エマニュエル・パユなどの証言)。比較的長めの指揮棒でもって描かれる曲線は力強く且つ繊細であり、人為的なアゴーギク等を抑制しつつ、色彩豊かな音楽を表現するのが特徴である。
同郷のピアニスト、ポリーニとの長きにわたる交友関係でも知られる。それぞれに現代最高の音楽家の一人として大成した両者の共演による諸作曲家のピアノ協奏曲の演奏・録音は、ひとつの音楽的方向性における頂点を描き出しているといってもよい。また、数々の「禿山の一夜」のレコーディングを行うなど、ムソルグスキーフリークとしても有名である。
(Wikipedia)
レーベル ドイツ・グラモフォン
困ったときには