コミュ作成宣言はあったものの、気がつけば今までなかったレッサーコミュが2009年の年魔?(ねんまつ)に始動。
●レッサーホースとは
2001年より名古屋で活動をするバンド。ベース&ドラムのツーピースという編成ながら奇抜なライブスタイル、ベース野村の強力なベース、ドラム渡辺の正確なリズムから生まれるグルーヴは一見の価値あり!
●メンバー
野村 ベースボーカル
渡辺 ドラム
●official home page
http://
●myspace
http://
●twitter始めました。
http://
●メンバーのBlog
日々是名馬(のむら Ba.&Vo.)
・新ブログ['10.1〜])
http://
・旧ブログ[〜'09.12])
http://
●自己紹介トピック
http://
●ライブスケジュール
http://
●無料CD「レッサーホースのライブ盤っぽいCD」ライブ会場にて配布中。
●活動記録
2000年6月、大学のサークルにて前身バンド結成。当時はギタリストがいた。
2001年5月、ギタリスト脱退により前身バンド解散。
2001年7月、2人で活動開始。ツーピースバンドをやっている先輩がいるので何とかなると思い、無理矢理始める。
2001年8月、サークルの合宿にて初めての曲「沈みゆく月と昇りゆく太陽」を発表。当時はP.USAのカヴァーもしていた。その後初ライブ。バンド名が決まらないので、バンド名を書くところに眼鏡のマークを書いて出演。
2001年11月、バンド名を「レッサーホース」にする。
レッサーホースの名前を胸に大学の定期演奏会の選考会に「過去への清算」で臨むものの、結果は10位(8位までが定演出場権を得る)で、惨敗。ツーピースのウケの悪さと、自分たちの実力のなさを知る。
2002年9月、初ライブハウス。
2002年12月、HP開設。性懲りもなく、定期演奏会の選考会に出場。「BABY BROWN」で臨み、見事5位で予選通過。ハートランドで行なわれた定演で混沌に満ちたライブを展開し、そのまま当時ブッキングの糸原氏にライブに誘われる。
2003年、野村が大学院2年ということと、渡辺の就職に伴い、活動の縮小化が懸念されたが、月1〜2本のペースでライブをする。
「音源作りたいよね」という話が出て、大学サークルに置いてあった4トラックMDのMTRで音源制作。現在在庫なし。
2004年、野村が祝!フリーターということでライブ本数増加。渡辺の負担も増加。ライブハウスへの出演が伏見から新栄のほうへと移動していったが、やってることは当然変わっていない。よく言えば初心を忘れず。悪く言えば成長が見られない。
「音源作りたいよね」という話が出て、友人から借りたRolandのVS1824と某スタジオで録った音源をリリース。現在在庫無し。
2005年、野村が高速道路の上で働き出したということでいよいよ二人の所得格差が甚だしくなり、かたや素晴らしい職業、方やアルバイト、しかも高速ファイターということで鬼気迫るライブが展開。ライブ本数は減ったのは、いいことか悪いことか。
「音源作りたいよね」ということで友人から借りたRolandのVS1824を使ってようやく完成した「マスゲーム」は大々的にプッシュしてみたものの低空飛行を続けている。
2006年、高速道路の仕事で、2週間高速道路上に缶詰めという非人道的仕事内容に疲れた野村が1年契約の仕事を持ってきて、いよいよライブ本数の低下がささやかれたレッサーホースであったが、逆に訳の分からんライブパフォーマンスに磨きがかかったのであった。
「音源作りたいよね」という話が出て、「時間ないよ」ということで、宮崎駿級に構想に時間をかけた。
2007年、1年契約がまさかの任期延長!途方に暮れる野村!やけになってライブ本数ががっつりアップ!
6月、平穏ながらも幸せな人生を歩んでいた渡辺が謎の青春の光と陰。まさかそんなことが!!野村もショックを隠せず。そんな話を聞いた日に二人で笠松競馬場に行き、オグリキャップの像を拝む。
8月、ザ・ナッツとのラブラブ仙台ツアー(Aug.12)。ツアーとは名ばかりの観光一直線。松島最高。牛タン最高。しかしながらライブは楽しかった!温かく迎えてくれたミドルズ(仙台)のみなさん、ありがとう。ちなみに野村は打ち上げで無茶ぶりを発揮し、昼まで吐きまくり。仙台に名古屋の汚点を残してきたとさ。
12月、謎の歯痛。年末のライブもすべて「人間、ぶっ殺す」と、殺意に満ちていた。ロキソニンが友達。そんな2008年。
2008年、新年開けまして歯痛。殺すぞ。3日に救急の歯医者へ。治したはずの虫歯が、詰め物の中で悪化。神経削って復活。ロキソニン最高。
3月28日、レッサーホース初イベント「ノムラエクスプロージョン#1」開催@ロックンロール。つしまみれ、モーモールルギャバン、明日、照らす、ボラデラックスを迎え、110人を超えるお客さんに囲まれ、野村、エクスプロージョン。そして細々と音源発売。「レッサーホースの5枚目!」
4月、仕事がまたもや契約延期。いいかげんにしろ。
5月、ライブの日に渡辺から衝撃のメール。「今日、体調不良のため、行けません」。!!!初めて「ライブは体調不良のときは休む」という選択肢があることを知る。野村、信念の一人ライブ。はなわ以来のベース弾き語りを成し遂げる。 9月、これだけダラダラと活動をしていてもなぜか初の大阪遠征!モーモールルギャバンのイベントに誘われる。大阪は塚本エレバティ。なかなかのライブをしたつもりである。もちろん、お客さんの反応は皆無であった。
10月、スリードラム&ベース&ギター編成の「ノムラセントラルステーション」のライブ決行@クラブロックンロール。レッサーの曲をほぼコピーしたバンドだが、ゴミドラマーのマッチの活躍もあり、とんでもない爆発力を見せる。そしてマッチは最後に大仁田ばりの流血をし、ステージを沸かせた。その二十日後、こっそりとだが突然に野村の恋が終わった。野村、28歳でのことであった。
11月、いよいよ野村も20代ラストイヤーへ突入!立ち上がれ、ニッポン!この「立ち上がれ、ニッポン!」が、いつの間にやらレッサーの代名詞となりつつあった。
12月、野村がヘルプをするバンド、マイカー共済の一部カルトファンから絶大な人気を誇るイベント「ネギークリスマス」に参戦する。最強の量のネギをお客さんとバンドで投げ合うというまったくもってライブなのかなんなのかわからないイベントだが、ネギ供養の信念は持っている。はず。今年は五体満足で帰ってきたのである。
2009年。2月、ヘルプドラマーにカトウダイスケ(以下ダイライト)氏を招き、ツインドラムでライブ!しかも大阪!これまたうるさい感じでよし。
3月、ノムラセントラルステーション名義でイベントノムラエクスプロージョン#2」開催@ロックンロール。The Flash、Lucy Campanella、モーモールルギャバンを招き盛大に開催。ノムセンも今回はさらにドラムが一台増え、4ドラムでもうくちゃくちゃでした。ちなみにドラマーは、NINさん(fromハネウエルビッチ、Ni-na)、セージ君(from mothball)、マッチ、神田君(from 不完全密室殺人)。
そして3月、職場の異動決定。4年目ともなるとついに観念したのか野村、うれしさとさみしさの間にいたとか。まあ職種が変わるわけではないので、ニンともかんとも。ニンニン。39℃の高熱にうなされた。一時は39.9℃までいき、さすがに危険を感じた。インフルエンザではなかったようで、「からだにばい菌が入った(それにより発熱、白血球の数が増える)」というものであった。。
4月、大阪にて再びツインドラム!対バンはモーモールルギャバン、ドラびでお、他の予定が、2週間ほど前になり純君の「部活の大会があるので行けません。」により、急遽ダイライトとのツーピース編成。純君の大切さを知った。しかし、当日は雨だったので、大会は中止のはずでは…
5月、ノムラセントラルステーションライブ。ドラムは4台。このときに無理をしたNINさん(fromハネウエルビッチ、Ni-na)は、肺炎を患ってしまうというアクシデント。そして野村も新型インフルエンザが流行する中、ついに38℃台の発熱!職場から強制隔離!それはもう20世紀少年ばりの非人道…いや、やめよう。結局インフルエンザではなく、前回と同じくからだにばい菌が入ったというものであった。回復後、ザリガニの飼育にハマる。
6月、「コダマ'09」にノムラセントラルステーションで出演。かなりの盛り上がりを見せる。ドラムは4台。肺炎により、療養を余儀なくされたNINさんがお休みの変わりに、アキちゃん(from Tigraao)が加入。制服姿でテンプテーション!
7月、純君蓄膿症になるの巻。なんかたかが鼻の病気だと思ったらかなり悪いようで、手術もするとかしないとか。よってヘルプドラムにダイライトでのツーピース。新曲「ゴミ、捨てるな、ゴミ」は一部カルトファンの間で好評であった。また、ノムセンの曲を逆輸入である「コダマ639号」もなかなかの好評。
8月、新曲「築城」、「クレイフィッシュマンズ」完成。ダイライトのセンスが一味違う風を吹きいれた。わけではなく、野村がやりたい放題しているだけである。
11月14日、サンセットストリップにて純君が復活!復活一発目からナイスグルーヴを出してやりました。 11月29日、野村、運命の30歳。
28日に名古屋のバンド「GRANCH」のイベントにてライブ。その後、打ち上げにてまさかのハッピーバースデーコール!しかもバースデーケーキまで!野村のようなゴミみたいな男を祝ってくれたGRANCHのみんな、そしてその場にいた人々、ありがとう。
12月、またもや謎の発熱!最高体温39.3℃を記録!!しかし、インフルエンザ判定は出ず、今回も「からだにばい菌が…」とのコメント。誰か助けて。
同じく12月、モーモールルギャバンのレコ発にて対バン。初のソールドアウトの講演に出演。奇抜なライブでその場を凍りつかせ、強烈なインパクトを残すも、物販をほとんど持ってこず、完全に他のバンドに取り残される。
そして2010年…きっと何も変わることはないでしょう。あ、ミクシィのコミュニティにコミュニティを作ってくれた人がいました。世の中がtwitterに移行する中、堂々のミクシィのコミュに参入!!
1月、新年初ライブはDAY TRIVE。ドラムはヘルプのダイライト。しかし、その前の週に純君に連絡したら、「俺その日いけるよー」と謎の返事。でもせっかく叩いてもらうのでダイライトで。1曲だけ叩いてもらおうと純君には「遊びにきてよー」と伝える。ちなみに叩いてもらう予定の曲は新曲「ニッポニアニッポン」であった。
当日。純君より「ごめん、今日はいけません。楽しんできてねー( *・ω・)ノ」とメールが。野村の計画はもろくもくずれさったのだ!!!
そんながっかりした状態でもなんとか盛り上げねば!とラストの曲で2階からダイブ!!
結果、左足の骨にヒビが!その日、500mの道を歩くのに20分かかったという…
1月31日、HOIPにてライブ。まさかの松葉づえでのライブ。もちろん最後は松葉づえなしでの混沌としたライブを繰り広げる。
2月、骨折中にもかかわらず月五本のライブを達成!その後、じゅんくん婚約のため、一時活動低下
3月ノムラエクスプロージョンVol3開催。JONNY、DOIMOI、WEENIE RADIO SHOP、テレポテ。そしてじゅんくん不在のためノムラセントラルステーションにて出陣!
4月、我々が唱え続けてきた「立ち上がれニッポン!」がなんと政党名に!なんとパクられた!こういうときになんとかしてくれるんじゃねえのかJASRAC!?
5月、無事にじゅんくんも結婚し、野村の足も治りいよいよ復活ライブ!三河のモリゾー&キッコロのキャッチフレーズで頑張ってきた我々もやはり上海万博には興味津津!中国っぽい新曲を!ということで、曲をパクることに。ということで新曲「マジで空も飛べるはず」完成。今後のJASRACとの戦いも注目である。
8月、JASRACに戦いを挑むべく新曲「ザリ蟹工船」完成。ポップ且つファンク。
10月、コダマ'10のゲリラステージ出演。ゲリラということで悪の限りを尽くしてきた。まずは盟友JONNYのステージに乱入し、「コダマは俺がゲリラする!」と高らかに宣言。このとき、すでにステージ上は混沌としており、ギター各務君は海へ、ベースフナハシ君は山へ還って行った。最終的に野村がボーカルの美生ちゃんをお姫様だっこして終わるという衝撃の結末。
そして肝心のレッサーホースのライブ。飛び交う罵声、ステージにゴミを投げまくる観客。素晴らしい。さらに野村は本ステージに突入し、SEBASTIAN Xのライブに侵入。途中からはJONNYのギター、篠田君とブラウスミーポップの倉田君も参加し4ピースでのレッサーホース。コーラスで美生ちゃんも入り5ピース!そしてテンションが上がりまくった野村は海にダイブしながらベースを弾くという何ひとつ利益のない演奏を繰り広げた。まさにゲリラという言葉に恥じないライブであった。来年もコダマがあったらぜひ出演させてください。とは口が裂けても言えない無茶っぷりであった。
という感じで日々戦っています。