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久保幸江

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詳細 2011年9月30日 23:21更新

このコミュニティは『トンコ節』や『ヤットン節』などのヒット曲で知られる歌手・久保幸江さんのコミュニティです。



↓以下、Wikipediaからの加筆・転載です。

1924年(大正13年)、日本統治下の台湾・屏東市に生まれる。

1942年(昭和17年)屏東高等女学校を卒業後、家族とともにシンガポールに移る。当時のシンガポールは日本占領下にあり昭南島と称していたが、家族はそこで日本軍相手の料亭を開いていた。久保はこの店で好きな流行歌を歌い、また軍の慰問にも赴き、歌を歌っていたという。

1946年、日本に引き上げた後、翌1947年、日本コロムビア社の新人歌手募集の新聞広告を見て応募、1500人の応募者の中から見事合格した。

1948年「千鳥なぜ啼く」でデビューしたが不発に終わる。民謡を歌謡曲風にアレンジした2曲目の「おこさ節」も市井の注意を引かないまま終わったが、民謡もうまくこなせる新人として社内で注目を集めた。

ところで、このころ古賀政男は「炭坑節」に興味を持っていた。古賀はこれをさらに都会的な宴会ソングに仕立て上げ、1949年、「トンコ節」として久保と楠木繁夫のデュエットとして発売させた。当初はさっぱり売れなかったが、都内、地方を問わずあらゆる営業先のステージで幾度となく一人で歌いまくったため、じわじわと売上が伸び、翌1950年、新人歌手加藤雅夫と共に吹き込んだ新しい「トンコ節」が彼女の運命を決定づけるほどの大ヒット曲となった。それは松竹をして映画「初恋トンコ娘」(監督・斎藤寅次郎。柳家金語楼、川田晴久他、久保自身も出演。1951年4月20日封切)を製作せしめるほどであった。当時の人気投票では、美空ひばりを抑え一位になったこともあった。

以後「ヤットン節」、「パチンコ人生」、コミックソング「旅は楽しいシュッポッポ」などヒット曲を放ったが、1955年、日本舞踊に転向を理由にコロムビアを退職した。

1969年、渡辺はま子の勧めで歌手活動を再開。1973年、甲状腺手術で声帯を一本切除する危機に見舞われるが、懸命なリハビリと治療の末に復帰。その後は神奈川県内で歌謡教室を開きながら、テレビの懐メロ番組などで活躍を続けてた。近年は体調を崩し療養中である。



☆代表曲☆



『トンコ節』(作詞:西条八十/作曲:古賀政男/1951年)



『ヤットン節』(作詞:不詳/補作詞:野村俊夫/作曲:不詳/補作曲:服部レイモンド/1952年)



◎このコミュニティでは「ネェ、トンコ・トンコ」で御馴染の『トンコ節』をはじめとして、久保幸江さん本人及びそのヒット曲を愛でる人たちのファンコミュニティです♪是非、皆さん参加してくださいね♪

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開設日
2009年11月15日

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カテゴリ
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