★第41代三冠王者★
★第82代アジアタッグ王者(浜&曙組)★
2009年度プロレス大賞
☆☆新人賞☆☆
☆☆最優秀タッグ賞☆☆
我らがスーパーヒーロー、浜ちゃんを応援しましょう!
【浜 亮太】
(1979年11月21日 )
大阪府茨木市出身で八角部屋所属の元大相撲力士、全日本プロレス所属の現役プロレスラー。大相撲時代の四股名は北勝嵐(ほくとあらし)、最高位は幕下6枚目、身長175cm、体重182kg。レスラー時代は、身長176cm、体重189kg(現在203kg)。身長はヘビー級としてはかなり低めだが体重に至っては日本出身プロレスラー史上最重量となり、経歴、体格共に超大型新人として期待されている。本名は、濱 亮太(はま りょうた)。
2008年プロレス転向を決意し7月に全日本プロレスに入団。頭を丸めて1日目から練習生として入寮し電話番やちゃんこ番をこなしているという。
7月14日、事務所で入団会見を行う。武藤敬司と共に出席し「体重があるのに動ける吉江豊選手が目標」と語った。
武藤は「歳も歳だしゆっくりしていられない」と語り努力次第でデビューも近いかもしれないと語っていた。
そして11月3日の両国国技館大会という大きな舞台でのデビューが決定、更にその相手が元横綱の曙であることを発表。この破格の待遇に期待の大きさが窺える。 さらに体重を189kgまで増量し、今までは丸坊主がそのまま伸びたような新人らしい髪型だったがデビューに向けて大金星を狙えるようにと金髪のパンチパーマというヘアスタイルにした。
デビュー戦では、曙の巨体を投げきるなど奮闘。その甲斐もあってか、翌日の会見では武藤敬司と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦への出場が発表された。デビュー直後の抜擢は1992年大会の秋山準と並び異例の早さである。
11月16日の台湾大会では、ランニングボディ・プレスで早くも先輩荒谷望誉からプロ初勝利をあげる。
最強タッグが始まる前まではタッグマッチの経験がまったくなく、全敗も予想されたが、3勝4敗・勝ち点6の成績を残した。その1勝の中には師匠であるカズ・ハヤシからフォールを奪う活躍も見せた。敗れた試合でも先輩選手達から後1歩のところまで苦しめるなど、圧倒的なインパクトと存在感を残した。
2009年のチャンピオンカーニバルに初出場することが決定。さらに3月14日の両国大会ではデビュー戦の相手を務めた曙とタッグを結成しブードゥータワーズとの対戦が決定。試合はVOODOO-MURDERSによる度重なる反則に苦しめられ惨敗を喫してしまう。
しかし1か月後のチャンピオンカーニバル開幕戦ではなんとブードゥータワーズのゾディアックに勝利するという快挙を成し遂げ評価を上げた。その後も太陽ケアを破り、2勝3敗でチャンピオンカーニバルを終えた。
2009年9月23日、後楽園ホールにて曙とタッグを組み、鈴木みのる&NOSAWA論外組を破り、第82代アジアタッグ王座の栄冠を勝ち取る。
エピソード
角界入りした時の体重は80kg。しかしすぐに大食漢の才能が開花しわずか2年で203kgにもなった。力士時代はフライドチキン20ピースを平らげる、焼酎のボトルを2人で一晩30本空ける、100個食べたら無料のギョーザ専門店では完食するなど多くの伝説を残した。
プロレス転向後もファンから全日本プロレスの道場にギョーザ1000個が届き、チャンコ番の浜が毎日つまみ食いして、約700個を1人で食べ、更に焼肉店で肉30人前、都内の寿司店でにぎりずし80貫平らげた。お陰で196kgだった体重が力士時代の203kgに激増した。なお道場の体重計は150kg以上は計測不能で、知人から紹介された都内の鉄工所で3トンまで量れる業務用のはかりにのり計測したらしい。
またプロレス転向にあたって大関の千代大海から「武藤さんにヒールとして売り出してもらえよ」とエールを送られ、相撲時代の師匠・八角親方からは『性格はプロレス向き。頑張って欲しい』とエールを送られた。また師匠の武藤はコーチ役に若手育成係でもあるカズ・ハヤシをあて「ガッツがある。プロレスを好きって気持ちだけじゃない」と彼の肉体だけでなく精神的強さも褒めている。
携帯サイト「プロレス・格闘技DX」内の全日本コーナーで、デビュー前からブログを受け持つことになった。
先輩レスラー達から可愛がられているのかよく先輩レスラーのブログに登場する。
角界出身だけあって彼のちゃんこは絶品であると伝えられている。さらに食後のデザートも欠かさないとのこと。
あまりに大き過ぎるため、試合中タッグパートナーの武藤に「邪魔だ!どけ!」と言われてしまう。
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