2007年冬、SATOSHI名義でシングル『BEST of SATOSHI』(ケリー&SATOHIの「硝子の少年」も収録されている。) をリリース。これにてケリー&SATOSHIのデビューであるとともに、SATOSHIのソロデビューとなった。 以後もケリー&SATOSHIのシングル、アルバム曲にもソロで楽曲を収録しているが、ソロでのシングル発売はこれが初となった。アイドルがソロデビューするのは稀な例であり、ケリーズでも相方のケリーを除き、他に例を見ない。
2009年10月、プロジェクトネーム『聡紫(さとし)』を始動させた。
プロジェクト『聡紫』は堂本剛のプロジェクト『美 我 空』のアーティストネーム『剛紫』から取っている。理由は「剛紫のようにMステで腕組みして歌いたい」から。
愛称は「さとし」「パープル」などいくつか候補があったが、紆余曲折を経て「さとし」に落ち着いた(ライブの煽りなどでも用いられる)。
この名前をつけるに当たり、本人は「『SATOSHI』という名前だと、必ず『SATOSHI=ケリー&SATOSHI』というアイドルとしてのイメージがついてしまい、いくら音楽に力を注いで作品を作っても大衆はそう受け取ってくれないことが多いため、そのイメージを切り離したくて別の名前を名づけた」と語っている。
本人の意向により、ケリー&SATOSHIの持つラジオ番組では楽曲を一切流さない、ケリー&SATOSHI公式コミュニティやファンクラブ会報誌等への活動掲載を行わない(会報誌上で、スタッフのコメントより「会報では、聡紫に関する掲載は行わない。」ことを明言した。)、ケリー&SATOSHI名義で出ている雑誌(アイドル雑誌など)では話題を出さない、レコード会社やコンサート事務局を事実上分社扱いにするなど、ケリー&SATOSHI名義の活動とは完全に切り離した活動を行っている。また、ケリーズ事務所所属タレントとしては珍しく、音楽雑誌『B-PASS』や『音楽と人』などに登場している。本人は「聡紫をライフワークにしたい」とも語っている。
なお、シングル、アルバムの発表は未定である。ライブの開催日程等もまだ未定であるが、大阪を中心に活動すると発表している。
困ったときには