突然ですが、みなさんは、お葬式の時に、お坊さんの話が退屈だなあ〜と思ったことはありませんか?
お経は、もともとサンスクリット語で書かれ、古代中国語に訳されて、現代に伝えられています。お寺では、その古代中国語を聞かされます。
なぜ現代日本語に訳して読まないのか。僕は不思議でなりません!!
お経を現代日本語で読むことにより、仏教に関心を持つ人が増えるでしょう。お寺の人は、仏教に関心を持つ人が少ないことに悩む暇があれば、お経を現代日本語でリズムよく読めるようにするべきではないでしょうか?学生時代を思い出してください。そんなことで悩んでいるのは、わかりにくい授業をして、生徒が授業を聞いてくれないことを悩む先生と同じで、愚かなことです。わかりにくい授業をして、生徒が寝たり、内職をしたりするのは当たり前のことです。
今まで意味もわからず唱えていた般若心経も、現代日本語に訳したものを唱えれば、きっと、いろいろ思うところがあるでしょう。
〜このようなことを言うと、次のように反論する人がいるかもしれません〜
「お経は、内容だけでなく、あの音、リズムがいいのだ。」確かに、音やリズムは印象に残ります。でも、それなら、現代日本語をリズムよく読めばいいのではないでしょうか?なぜ、古代中国語は音やリズムが良くて、現代日本語はそうではないのでしょうか?
また、こう言う人もいるかもしれません。
「お経は、神聖なものであるから、翻訳不可能なものである。」確かに、イスラム教の経典であるコーランなら「コーランは、神聖なものであるから、翻訳不可能なものである。」というのは一理あるかもしれません。実際、イスラムでは、伝統的にコーランは翻訳されませんでした。しかしながら、お経は、すでにサンスクリット語から古代中国語に翻訳されているのです。翻訳不可能というのはウソです。さらに言えば、もしお経を勉強するとすれば、日本語を母語とする人なら、日本語でお経を理解しようとするはずです。英語を母語とする人なら、英語でお経の意味を理解しようとするはずです。理解しようとすれば、現代日本語を使うのは、日本語を母語とする人なら、さけられないことなのです。ならば、はじめから、現代日本語に訳してお経を唱えればいいのです。
あるいは、こう言う人もいるかもしれません。
「お経を聞く時間は、瞑想をする時間である。」しかし、本来的に宗教とは、救済が目的であって、理解できない言葉を聞いて音を味わう時間ではないのです。しかも、瞑想をしたいなら、静かなところですればいいだけのことです。
誤解のないように付け加えておきますが、僕は、仏教徒ではありません。あくまで、素人目線で、思うところがあったので、このコミュを作らせていただきました。
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