元肥満児でダイエット目的でボクシングを始めたという
異色の経歴を持つ。プロデビューからキャリアの初期は
芸術的なまでの高度なディフェンス技術で観客を魅了した。
ファンやマスコミに対しての真摯で誠実な受け答えと
入場からリングインまでの悲壮感すら漂わせる寡黙さと
理知的な風貌でリング上の美学を追求する哲学者を思わせる。
プロとしてキャリア積む過程で、観客を意識した
より攻撃的なスタイルにシフトチェンジ
勇敢で引くことを知らないそのスピリットと、相手を選ばず
強い相手と連戦を重ねてきた、その生き様。
完璧なディフェンス技術を捨て、打たれ脆さを内包した肉体で
どんな強豪にも臆することの無い果敢なアタックと力強い連打
で挑み、時に血みどろになりながらも、激闘の末、相手をマットに沈め
寡黙な仮面を脱ぎ捨て感情を爆発させ、快哉をあげる。
そのリング上の姿は現役ボクサーの中で誰よりも魅力的に感じられる。
ミゲール・アンヘル・コット(Miguel Angel Cotto)
wikipedia
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通称:Junito
生年月日:1980年10月29日
国籍:プエルトリコ、カグアス
現階級:スーパーウェルター級
現WBA世界スーパーウェルター級王者
スタイル:オーソドックス
戦績:プロボクシング
39戦 37勝 30KO 2敗
Miguel Cotto HL ハイライト動画
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来歴
1998年世界ユース選手権ライトウェルター級ベスト8。2000年、プエルトリコ代表としてシドニーオリンピックボクシングライトウェルター級に出場し、1回戦でモハメド・アブドゥラエフに敗北した。
2001年2月3日、アメリカ合衆国でプロデビュー。
2004年9月11日、ケルソン・ピントを6RTKOで下し、WBO世界ジュニアウェルター級王座を獲得。
2004年12月11日、ランドール・ベイリー(アメリカ)を6RTKOで下し、WBO世界ジュニアウェルター級王座の初防衛に防衛した。
2004年12月21日、プエルトリコ・ボクシング・コミッションがミゲール・コットを2004年度のMVPに選んだと発表。
2005年6月11日、WBO世界ジュニアウェルター級タイトルマッチでシドニーオリンピックで敗れたモハメド・アブドゥラエフと対戦し、8回TKO勝ちで3度目の防衛に成功した。
2006年1月23日、プエルトリコ・ボクシング・コミッションがミゲール・コットを2005年度のMVPに選んだと発表。
2006年12月2日、WBA世界ウェルター級王座決定戦でカルロス・キンタナ(プエルトリコ)と対戦し、5回終了TKO勝ちで同王座を獲得した。
2007年3月、ロベルト・クレメンテ・コロシアムで行われたWBA世界ウェルター級王座の初防衛戦の様子2008年4月12日、アルフォンソ・ゴメスと対戦。3度のダウンを奪い、5回終了時TKO勝ち。同王座の4度目の防衛に成功した。
2008年7月26日、WBA世界ウェルター級タイトルマッチにて、アントニオ・マルガリート(メキシコ)と対戦し、熱戦を繰り広げ有効打を浴びてもまったく引かないマルガリートの圧力に屈し11RTKOで敗れ、王座から陥落するのと同時にプロ初黒星となった。
2009年2月21日、WBO世界ウェルター級王座決定戦でマイケル・ジェニングス(イングランド)と対戦し、5回TKO勝ちで王座に返り咲いた。
2009年6月13日、前IBF世界ウェルター級王者ジョシュア・クロッティ(ガーナ)と対戦し、2-1の判定勝ちで初防衛に成功した[1]。
2009年11月14日、マニー・パッキャオ(フィリピン)と2度目の防衛戦を行い、12回TKO負けで王座から陥落した。
2010年6月5日、3階級制覇を目指しWBA世界スーパーウェルター級王者のユーリ・フォアマン(イスラエル)に挑戦し、9回TKO勝ちで王座獲得。フォアマンに初黒星を付けるとともに、3階級制覇に成功した[2]。
獲得タイトル
WBO世界スーパーライト級王座(防衛6回)
WBA世界ウェルター級王座(防衛4回)
WBO世界ウェルター級王座(防衛1回)
WBA世界スーパーウェルター級王座(防衛0回)
<地域タイトル>
NABO北米スーパーライト級王座
<マイナータイトル>
WBCインターナショナルスーパーライト級王座