1989年、言葉の壁を越える演劇を目標として大阪に創立。主宰・上海太郎。
ダンス、パントマイムをベースにした短い場面を積み重ね、壮大でイメージ豊かなドラマを構成するという独特のスタイルを確立する。
1991年、代表作「ダーウィンのみた悪夢」でエジンバラ・フェスティバル・フリンジ(イギリス)に参加。「心の琴線に触れるダンス・パントマイム」と好評を博す。
以後、1992年ロンドン・ブリッジレイン劇場にて2週間公演、1993年には英国ビジュアルシアター・フェスティバル(イギリス)、ダブリン・シアター・フェスティバル(アイルランド)へ招聘されるなど海外での活動を積極的に行っている。
一方国内では、舞踏公司としての本公演は勿論、上海のひとり舞台や各地のイベントでパフォーマンスを行うなど、フットワークの軽い活動を続けている。
上海太郎とは
1977年、京都大学入学とともに劇団そとばこまちに入団。
役者として活躍する一方、振付師・ダンサー・パントマイマーとしても活躍する。
1982年、関西小劇場初の冠公演となった<CAVIN85小劇場>「オズの魔法使い」で演出家としてデビュー。 小劇場ミュージカルという新分野を開拓した。 以後、演出家として頭角を現し、20〜30名のコロスを使っての視覚効果的な群集シーンの演出は高く評価された。 この頃、劇団そとばこまちの座付き作家・安田光堂のオリジナル作品やシェイクスピア作品を多く演出している。
1985年、そとばこまち3代目座長に就任。
同年、「メモリアル・トライアングル」で脚本を手掛け、独自のスタイルにより自らが最も切実に感じるテーマを普遍的なドラマとして構成。 この作品がターニングポイントとなった。
翌1988年、「五線譜の上の国」を最後にそとばこまちを退団。
この年に訪れたニューヨークで、言葉を越えたコミュニケーションと日本人としての自分という命題に興味を抱く。
1989年、当劇団・上海太郎舞踏公司を創立。
舞台からセリフをなくし、「進化論」「エントロピーの法則」「輪廻思想」など、現代人が国境をこえて理解できる世界観や宇宙観を作品のキーワードにするというユニークな手法で、セリフ劇では表現できなかった時空の広がりを作品世界に持ち込むことに成功した。
現代に生きる日本人としての自分を、宇宙の中の自分へと捉えなおしていく独特のドラマツルギーは海外においても共感を集めている。
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