2005-2006シーズン、彼女は欧州選手権でシニアデビューしいきなり5位となり、さらに直後のトリノ五輪でフリースケーティングの最終グループ6人に入ったことで注目を集める。
エレーナ・ブイアノワ、タチアナ・タラソワの指導の下、モスクワのCSKAモスクワでトレーニングをしていた。
だが、2006-2007シーズン中、ロシアとグルジアの関係の悪化により、滞在ビザが不完全と一方的に認定されたグルジア人一斉追放の対象に10月4日になって母親が含まれたため、モスクワからの退去を余儀なくされた。
2006年10月にウィーンで開催されたカールシェーファーメモリアルにはモスクワからグルジアへの帰国途中に参加し優勝した。
同シーズンのISUグランプリシリーズにおいて中国杯、NHK杯にエントリーしていたがいずれも欠場した。
練習の拠点を2006年12月25日にアメリカに移し、オクサナ・バイウルを育てたガリーナ・ズミエフスカヤに師事することとなった。
2007年1月下旬にワルシャワで開催された欧州選手権には参加し、SP3位、総合8位に入った。
2007年3月に東京で開催された世界選手権では、ジャンプのミスが響き17位に終わった。
2007-2008シーズンよりロマン・セロフに師事し、スケートアメリカでは6位。2戦目のNHK杯では8位となった。
2008-2009シーズンの世界ジュニアフィギュアスケート選手権よりエレイン・ザヤックに師事し、同大会では6位に入った。