すべての人間は死ぬ運命にあります。
実際にこれを見ている全ての方も100年後には誰一人として生き残ってはいません。
人間の文明もいよいよ発展してきました。
しかしそれと同時に終わりが近づきつつあるもの感じます。
そろそろ人間は死を受け入れた文明を築く時ではないでしょうか。
フロイトも人間は「死の欲動」を持っていると言っています。
これを認めない限りまた愚かな戦争もおこり続けるのでしょう。
死ぬ運命を受け入れよう。他人にも社会にもわずらわされることなく、林の中の象のように。犀の角のようにただ独り歩め。そして時が来たらおとなしく死を受け入れよう。
死をも織り込んだ文明を作ろう。
それがこれからの人間の生き方ではないでしょうか。
もちろんその「時」は人によって違います。天寿を全うする人も明日自殺してしまいたい人もいるでしょう。それは自分で選ぶことです。
メメント・モリはラテン語で「死を想え」という意味です。ローマ人は栄光に酔う将軍をこの言葉で諫めたといいます。この世界の中での唯一の真実である死を常に見つめたいものです。
村の中心に環状列石という墓を築いた弥生人もやはり死を常に意識していました。かの人々を見習って私たちにも死のモニュメントを立てれたらと思います。
このコミュニティーはいつの日か美しい死のモニュメントを立てることを目指すコミュニティーです。
「彼らはお互い傷つけあうことしかなく。その存在の間に刻まれた深い溝を越える術はない。
滅亡に行き着いて、静かに流れる涙に耐えながら相手の「頬をなでる」のが、そこに生じうる唯一の人間的関係である。
「果てまで」行き着けば、どうして「美」や「死」や「苦痛」などという観念のうろこを双眼にはめ込んでいることができようか。
「社会」とは畢竟「世の約束事」ではないか。
人がそのような仮構を通じて人に触れうると言うような楽天的な信仰はこの頬を撫でる手の前に消える。……」
「小林秀雄」江藤淳 より
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