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クリスティアーノ・ロナウド…

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詳細 2022年12月13日 00:21更新

クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロ
『Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro』
☆1985年2月5日→テベタン(カルロス・テベス)※誕生日一緒。

ポルトガル・マデイラ諸島フンシャル出身のプロサッカー選手。
マンチェスター・ユナイテッドFC所属。
ポジションはミッドフィールダー(サイドハーフ)、フォワード(ウイング)。

『経歴』
『1996年』
スポルティング・リスボンユースへ入団。
2002年にリーグ戦デビューを果たしクラブ史上最年少でゴールを決めた。
世代交代を進めていたポルトガル代表にとってもロナウドへの期待は大きく
2003年8月20日のカザフスタン戦でデビューを果たした。
同年、移籍金1200万ポンド(約22億円)
→10代の選手としては破格の移籍金でマンチェスター・ユナイテッドへ移籍し
背番号は7番になる(本人は当初28番を希望していた)。

マンチェスター・ユナイテッドでは移籍初年度からレギュラーとして活躍。
06-07シーズンは17ゴール、14アシストと共に自己最多記録をマークし
チームの優勝に貢献。
『PFA年間最優秀選手賞』『FWA年間最優秀選手賞』受賞。
またバロンドールの投票ではカカに次ぐ2位となった。
07-08シーズンは開幕からゴールを量産し、チームのリーグ2連覇に貢献。
アラン・シアラーの持つシーズン最多得点記録タイの31得点で得点王になった。

『プレミアリーグの上位チームに対して目立った成績を残していない』と揶揄する声もあるが、実際には31得点のうち5得点を3位から5位までのチームから奪っている。
2シーズン連続で『PFA年間最優秀選手賞』『FWA年間最優秀選手賞』を受賞。
またチャンピオンズリーグで、CL決勝の大舞台でチェルシーからゴールを奪うなどの活躍によりチームを9シーズンぶりの優勝へと導き、自身も得点王となった。

これらの活躍が認められ、07-08の『バロンドール』『FIFA最優秀選手賞』のダブル受賞を果たした。

ポルトガル代表では既にレギュラーを確保しており、ポルトガルの将来を担う若きスタープレイヤーである。
プレースタイルなどからルイス・フィーゴの後継者と評する声もある。
『EURO2004』では初戦のギリシャ戦で代表初得点を決め、全試合に出場して準優勝に貢献した。
また、同年に開催された『アテネ五輪・サッカー』にも出場。
『ドイツワールドカップ』でも代表の主力メンバーとして活躍。
得意技の高速ドリブルを幾度となく繰り出して敵陣を切り裂いた。
『EURO2008』本大会にて、フィーゴの7番を継承する。

2008年夏、ロナウドは『レアル・マドリード』への移籍騒動でチームを騒がせる。
マンチェスター・ユナイテッド側は契約期間を4年残しているにもかかわらずレアル・マドリードからの執拗なオファーにしびれを切らし法的手段に出るところまで話が大きくなるが
最終的にアレックス・ファーガソン監督の「お前がいなくなったら自分も監督を辞める」という熱心な説得により残留を決意。
この件については、本人が公式ホームページにて「ユナイテッドもレアル・マドリードと同じく夢の1つだったが、タイトルを全て獲得したためもう1つの夢で新しい挑戦をする時期だと思った」と語っており、また残留に関しては「監督と話しあった結果、ユナイテッドに残る事がベストという事になった」と言っている。
将来については「それは神様が決めること」と言っているが、今回の移籍騒動については「(両クラブやその関係者にではなく)自分に責任がある」としている。

【プレースタイル】
敵陣を切り刻む高速ドリブルで局面を打開する世界最高クラスのウインガー。
(プレミアリーグではフランカーとも言う。)
シザースやマシューズ,エラシコ,メイア・ルアといった様々なフェイントを駆使、ラボーナ等の高度な技も時折見せる。
ジュニーニョやピルロのような無回転シュートを蹴ることができ、威力や変化では前述の2人に匹敵するキックが可能である。
左右どちらのサイドでも同等のレベルでのプレーが可能で、利き足でない左足でも正確なクロスをあげ,強烈なシュートを放つ事ができる。
強靱なフィジカル,ポジショニングセンスも持ち合わせており、高いジャンプ力を生かした打点の高いヘディングで幾度となく得点を決めている。
接触プレーにおいては倒しにきた相手には逆らわずに倒され、ファウルからのFKを狙う事が多い。
単純なドリブル突破だけでなく、豊富なプレーと得点パターンを持つプレイヤーである。

イングランドに来た当初は球離れの悪さから決定的なタイミングを逃したり、ドリブル突破がチャンスにつながらなかったりしたため、プレーが自己中心的過ぎるという批判をしばしば浴びていた。
しかし本人の成長と共にこのような部分も飛躍的に改善され、近年はチームプレーを重視しつつ必要と判断すれば個人技を繰り出すというスタイルになり、その判断の良さによりチームおよび本人も良い結果をあげるという好循環を生んでいる。

チームが守備的に振舞う時には、1トップを任せられることが多い。
(ルーニーやテベス等他の前線の選手に比べ、運動量・守備意識が低く、また、前線の広大なスペースで活きるプレーヤーであるためと言われている。)


【エピソード】
少年時代のアイドルはディエゴ・マラドーナ、好きなチームはベンフィカ。
ベンフィカのライバルであるスポルティング・リスボンのユースに入る事を決めたのは、母がスポルティングのファンだったので喜ばせたかったという事が理由の1つらしい。
スポルティング時代からコーチ陣も揃って認めるほどの練習家で、現在でも居残り練習を積極的に行っている。
ニックネームはよく涙を流す事から「クライベイビー」。
デビュー戦の後、ジョージ・ベストに「(彼は)私の後継者になりうる」と唸らせた。
かつてはゴールを決めたときに行うユニフォームを脱ぐパフォーマンスで、見事に鍛え上げられた上半身を披露してティーンエイジャーを中心に多くの女性たちを酔わせた。
現在はゴールパフォーマンス時のストリップはFIFAによって原則禁止となっているので、イエローカード覚悟の時でなければ彼の肉体美を楽しむことは出来ない。
06年11、12月にプレミアリーグ月間MVPを2ヶ月連続して受賞。ロビー・ファウラーとデニス・ベルカンプに続く、プレミア史上10年ぶり3人目の快挙となった。
07年2月6日に行われたブラジルとの親善試合では、数日前に亡くなったポルトガル協会カルロス・シルヴァ副会長の遺言により、初めて主将を任された。
それ以降、本来の主将ジョルジ・アンドラーデおよび副主将ヌーノ・ゴメスが不在の時は、ロナウドが第3候補として主将を務めている。
クラブにおいても、2008年3月19日の対ボルトン戦で初めてキャプテンマークを巻いて出場した。
PFA(プロフットボール協会)による06-07年の年間最優秀選手賞・最優秀若手選手賞をダブル受賞し、1977年のアンディ・グレイ以来30年ぶり史上2人目の栄誉を勝ち取った。
またファンの投票による年間最優秀選手賞にも選ばれ、史上初の三冠達成を果した。
07-08年の年間最優秀選手賞も受賞し、連覇を果たす(最優秀若手選手賞はアーセナルのセスク・ファブレガスが受賞)。
07年に来日した際、TBSのスーパーサッカーのインタビューに出演する予定だったが、体調不良によりキャンセルしたためチームメイトのリオ・ファーディナンドが代理を務めた。
また、ロナウド本人が拙い日本語で謝罪する映像も流れた。
チームメイトのポール・スコールズに「世界最高のプレーヤー」と賞賛されている。
また、かつてマンチェスター・ユナイテッドの7番を背負った1人であるエリック・カントナにも、「世界一のプレーヤーだ」と褒められている。
08年5月21日に行われたチェルシーとの欧州チャンピオンズリーグ決勝戦では、1-1(ユナイテッドの得点者はロナウド、チェルシーの得点者はフランク・ランパード)の同点で迎えたPK戦で3人目のキッカーとして登場するも、チェルシーの守護神ペトル・チェフにコースを読み切られてセーブされてしまう。
しかしチェルシーの5人目のキッカージョン・テリーが雨でぬかるんだピッチに足を滑らせて痛恨のミスキックに終わった事と、ファン・デル・サールの好セーブによって、ユナイテッドが9シーズンぶりに3度目の優勝を果たした。
勝利の瞬間、ロナウドはピッチに倒れこんで号泣し、ガリー・ネヴィル、ライアン・ギグス、アレックス・ファーガソン監督らに助け起こされてようやく味方の歓喜の輪に加わった。
08年にスイスとオーストリアで共同開催されたEURO2008の美男子ナンバーワンに選ばれた。
LG電子が実施した欧州の女性1万2000人による最もハンサムな選手の人気投票で1位となったもの。
ロナウドは華麗なドリブルが持ち味だが、その才能とともにラテン系の端正なルックスで欧州女性の心をつかんだ。
特にイタリア、ドイツ、スウェーデンのファンからの投票が多かったという。
08年12月のTOYOTAプレゼンツFIFAクラブワールドカップで日本での注目も増え人気、実力ともにNO.1選手と言える。
準決勝では、ガンバ大阪を相手にコーナーキックからのヘディングでのゴールを決めている。

【その他】
名前の由来は、父親が「ロナルド・レーガン元アメリカ大統領のようになってほしい」と願った事によるという。
4人兄弟の末っ子で兄1人、姉2人がいる。
父親はアルコール中毒(05年9月に死去)、兄はドラッグ中毒に陥った過去があるという。
このような経緯から、サッカー選手としての悪影響になると考え、飲酒、喫煙は一切していないという。
故郷フンシャルに自分のファッションブランド「CR7」の店を開いている(マネージャーは2人の姉)。また下の姉はポルトガルで歌手をしており、「Ronalda」という芸名でCDデビューしている。
サッカーの次に好きなスポーツは卓球。
その腕前は、ポルトガル時代にプロにスカウトされたほど。
09年1月8日午前、マンチェスター空港近くの道路でトンネルの壁に正面から衝突し、前方部分が大破する自動車事故を起こした。
運転していたフェラーリ・599は前方部分が大破したものの、ロナウド本人に怪我はなかった。
なおこの事故でクラブからは罰金を科されている。

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