花粉症がつらい人集合!
花粉症(かふんしょう、hay fever / pollen allergy / pollen disease, 医 pollinosis または pollenosis )とはI型アレルギー(いちがた−)に分類される疾患の一つ。植物の花粉が、鼻や目などの粘膜に接触することによって引き起こされ、発作性反復性のくしゃみ、鼻水、鼻詰まり、目のかゆみなどの一連の症状が特徴的な症候群のことである。枯草熱(こそうねつ)とも言われる。
現在の日本ではスギ花粉によるものが大多数であるが、ここでは花粉症の一般記事を記載しスギ花粉症の固有の問題でまとめられるものは該当記事にまとめることにした。参照のこと。
くしゃみ、鼻水、鼻づまりなどはアレルギー性鼻炎(鼻アレルギー)の症状であり、花粉の飛散期に一致して症状がおこるため、季節性アレルギー性鼻炎(対:通年性アレルギー性鼻炎)に分類され、その代表的なものとなっている。目の痒みや流涙などはアレルギー性結膜炎の症状であり、鼻炎同様に季節性アレルギー性結膜炎に分類される。広義には花粉によるアレルギー症状全てを指すこともあるが、一般的には上記のように鼻および目症状を主訴とするものを一般的に呼ぶことがある。また、狭義には鼻症状のみを指し、目症状は結膜花粉症(または花粉性結膜炎)、皮膚症状は花粉症皮膚炎または花粉皮膚炎)、喘息の症状は花粉喘息、喉の不快感などの症状はアレルギー性咽喉頭炎などと別に呼ぶことがある。
この記事では、hay fever = 枯草熱、pollinosis = 花粉症というように、古語・現代語、一般名・疾病名、の観点で呼び分けることもある。枯草熱も医薬品等の効能に表記されるれっきとした医学(医療)用語であるが、ここでは花粉症で統一する。なお、pollen allergy は花粉アレルギー、pollen disease は花粉病(花粉による疾患)の意である。
花粉症がいつ頃出現したかについては、花粉が肉眼で見ることができないこともあって明確には判っていない。紀元前500年ごろのヒポクラテスの著書『空気、水、場所について』の第三節にさまざまな風土病が述べられているが、季節と風に関係しており、体質が影響し、転地療養が効果的であるということから、現在でいうアレルギー(季節的アレルギー)の機序を考えてよさそうなもの、すなわち現在でいう花粉症もあるかもしれないとの考えもある。ローマ帝国時代の医師ガレヌス(紀元前130年〜200年)も花粉症らしい疾患について述べており、紀元前100年ごろの中国の記録にも、春になると鼻水および鼻詰まりがよくあるとのことが示されているという。西暦1000年ごろのアラビアの医師によって、花粉症らしい疾患とその治療法が記録されているともいわれる。[要出典]
より近代医学的な記録で最古のものは、1565年(一説には1533年)のイタリアの医師 Leonardo Botallus によるものとされる。「バラ熱(Rose cold または Rose fever)」と呼ばれる症状で、記録によれば、その患者はバラの花の香りをかぐとくしゃみやかゆみ、頭痛などの症状をおこすという。原則的にバラは花粉を飛散させないため、花粉症であるとは言い難いが、現在でも Rose fever は「晩春から初夏の鼻炎」様の意味で Hay fever 同様に用いられることがある。
花粉症であることが確かな最初の臨床記録は、1819年にイギリスの John Bostock が、春・秋の鼻症状、喘息、流涙など、牧草の干し草と接触することで発症すると考えられていた Hay fever と呼ばれる夏風邪様症状について報告したものである。彼自身も長年にわたって症状に苦しめられたというが、有効な治療法は発見できなかったという。彼は最初これを夏季カタルと呼んだ。発熱(fever)は主要な症状ではないので、粘膜の炎症を示すカタルの方が適切ではあった。この報告の後しばらくの間、この症状は「Bostockのカタル」と呼ばれたと言われる(なお、 Hay fever は枯草熱と訳されているが、字義通りに解釈するのであれば、干し草熱とした方が適切であった。Hay とはイネ科の牧草 grass の干し草を指すからである)。1831年には同じくイギリスの J.Elliotson により、証明はなされなかったが花粉が原因であろうとの推定がなされた。そして1872年、北アメリカでブタクサが Hay fever の原因であるという報告がなされた。ブタクサは Hay ではないが、その当時すでに Hay fever という名称は定着していたと考えられる。
その後、イギリスの Charles H. Blackley によって、 Hay fever は気温の変化あるいは花粉が発する刺激性のにおいや毒素などが原因とする考えが、実験的に否定された。彼は空中花粉の測定、鼻誘発試験や皮膚試験など、現在でも通用する試験を行ってイネ科花粉症を実証し、遅発相反応にさえ言及した著書『枯草熱あるいは枯草喘息の病因の実験的研究』を1873年に著した。これにより Hay fever は Pollinosis (花粉症)と呼ばれるようになった( pollen は花粉のこと)。これらのことから、自らも花粉症であった Blackley は花粉症の父と呼ばれている。しかし、アレルギーという概念が成立するには20世紀になるまで待たなければいけなかったため、この段階では花粉に過敏に反応する人とそうでない人がいるということしか分からなかった。
日本においては、1960年代に次々と報告されたブタクサ、カモガヤ、スギ、ヨモギなどによるものが花粉症の始まりである。しかし、その正確な出現時期は判っていない。
たとえばスギ花粉症の発見者である斎藤洋三(当時は東京医科歯科大学所属)は、1963年に鼻や目にアレルギー症状を呈する患者を多く診察したのが花粉症に気付くきっかけとなったというが、過去の記録を調べ、毎年同時期に患者が急増することを確認している。また、1989年に65歳以上の耳鼻咽喉科医師に対してアンケートを行った結果、初めてスギ花粉症と思われる患者に接したのは1945年以前であるとの回答が4.7%あったなど、総合的にみてスギ花粉症の「発見」以前に患者に接していた医師は回答者の4分の1に達したとの調査がある。さらに、高齢の患者を調べたところ、戦前の1940年以前に発症したとみられる患者もいた。
1935年と1939年には空中花粉の測定が行われ、空中花粉数は少なくないが花粉症の原因となる花粉はきわめて少ないと報告された。戦後、進駐軍の軍医により調査がなされ、気候風土などの関係により、日本でのブタクサおよびイネ科の花粉はアレルゲンとして重要ではないと結論した報告が1948年になされた。これらにより、日本における花粉症の研究および患者の発見・報告等が遅れたという指摘がある(1939年の米国帰国者の症例報告では、当地において「バラヒーバー」と診断されたと記録されている。前述の「バラ熱」のことである)。
1960年後半からおよそ10年は帰化植物であるブタクサによる花粉症が多かったが、1970年代中頃からスギ花粉症患者が急増した。特に関東地方共通のできごととして1976年に第1回目の大飛散があり、その後1979年、1982年にもスギ花粉の大量飛散と患者の大量発症があり、全国的ではないにしろ、ほぼこの時期に社会問題として認知されるに至った。「花粉症」という言葉が報道等で一般的に用いられるようになったのもこれ以降からである。
原則的に自然治癒は期待できないため、毎年のように患者数は累積し、現在では花粉症といえばスギ花粉症を指すと思われるほどになっている。花粉症のおよそ80%はスギ花粉症といわれ、新たな国民病とも呼ばれる。
なお、本邦初の花粉症の報告は、1960年の荒木によるブタクサ花粉症であり、次いで1964年の杉田・降矢によるカモガヤ花粉症、堀口・斎藤によるスギ花粉症、1965年の寺尾・信太によるイネ科花粉症、佐藤によるイタリアンライグラス(ネズミムギ)花粉症、1967年の我妻によるヨモギ花粉症などの順である(報告年は文献により多少異なるが、初例報告か完成度を高めた研究報告かなど、取りまとめる際の観点の違いによると思われる)。
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