新しい学年の始まりもそつなく終わり。五月の半ば。
周りのみんなは段々と新しい生活になじみ始め打ち解け合い、
いろいろなところで固まっている。
すべてが架空の話
存在すらも。
たとえば、大学に在籍しているとしよう。
入学から半年が過ぎて、学生生活にも慣れてきた。
ただの一点を除けば。
いつになっても友達ができない。
顔は覚え名前も少しは覚えたけれども、よく話す人がいるわけではない。
挨拶程度はする。
しかし、"友達"かと言われれば否と答えるしかない。
孤独が気になるといえば気になる。
それでも何故俺は能動的に行動しないのだろう。
できないわけではないのに。
そう、できないわけではないのに。
孤独の何が気になるのか。
その点を考えてみるがよくはわからない。
自分自身が寂しいのか。
いや、高校時代でもそれは気にならなかった。
それ以前も、それよりも以前も。
ならばなにが気になるというのか。
そうだ、人の目だ。
大学で顔の見知った連中、そいつらにいつまでも孤独でいる様を見せ付けたくないのだ。
そこで俺はいつものように携帯を取り出す。
適当にボタンを操作し、ランダムな数字の羅列を表示させる。
だが、コールボタンは押さない。
その携帯を耳にあて何かしらあることないこと、
最近の近況、相手の近況を尋ねる言葉、今度遊びに行こう、と身近にいる"友達"ではない連中に掛けることのできなかった言葉をつながっていない電話に向かって延々語り掛ける。
話しながら、俺は岐路に着く。
そのとき、俺は誰に話しかけていたのか。
電話機?いや違う。
架空の友達。
色々な設定がある架空の友達に言葉をなげかけているのだ。
俺には友達がいる。
架空だが、さまざまな世界で電話を受け付けていて、さまざまな時に楽しい言葉を語ってくれる大切な友達が。
これからもその友達を大切にしていきたいと思う。
それにしても、これほどまでに頻繁に電話を掛けてくれる友達がいる"架空の友達"がうらやましいと思う。
俺のような模範的な友達がいる架空の友達が。
俺もなれることなら、架空の友達になりたいと、そう思った。
学校ではいつも一人ぼっち。
休み時間はいつも退屈。
"みんなは友達と仲良くやっているというのに、、、"
なんだか一人でいることが空しくなって
おもむろに携帯電話を取り出す。
通話していないその携帯電話を握りながら、一人喋る。
もちろん、電話の相手は"架空の友達"
一人であることを悟られないようにひたすらに、
途切れることのない架空の会話をただ延々と続ける。
周囲に人がいなくなったときに携帯を閉じる。
あたりを流れる初夏の風が
自分には冬の訪れを告げる落葉を舞い散らせる冷たい風に感じた。
困ったときには