日本ではまだまだ伴侶としての馬が少ないのが現実。
競馬界然り、乗馬倶楽部然り、馬の飼い方そのものが馬にとって大きなストレスである事も多い。
もし自分が馬だったら、馬房に閉じ込められっぱなしに耐えれるだろうか?
寒くも無いのに、冬毛が生えると見苦しいという理由で馬着を着せられたり、馬は人の要求を押し付けられて生きている。
競走馬の多くは、競馬失格の烙印を押されて殺されてしまうし、悲しい運命をもっている馬はたくさんいる。
馬は群れを成す草食動物であるという原点が忘れ去られてしまい、馬の幸せが人の視点からの押し付けであってはならないと思う。
人が馬を飼う以上、馬は群れの一員として人を見る。
その人が群れの序列で下だと馬が判断すれば、馬は人のやる事に反抗するのが当たり前。
良い事悪い事の一貫性を持ち、決して甘やかすのではない深い愛情を持って接することで、馬とは信頼関係に基づく上下関係が築けると思っている。
馬は競馬や乗馬に限らず、伴侶・観光・福祉・教育・畜産・交通などと、用途の広い美しい動物。
かつては馬を使って畑を耕し、家族として馬の存在があったはず。
労働力になってくれ、雑草も食べ、馬糞を堆肥として活用出来る、単なる伴侶としてだけではなく、田舎暮らしにはありがたい動物だ。
今こうして、サラリーマンをやりながらではあるものの、馬と共にある田舎暮らしをするようになり、同じように馬を飼う人、そしてそれを目指す人等が集えればいいなぁと思う。