山地元治
(幼名:忠七)
{生没年}
1841年(天保12年)9月10日〜1897年(明治30年)10月3日
{出身}
土佐藩(現:高知県高知市越前町)
{最終階級}
陸軍中将 従二位 勲一等 功三級
{爵位}
子爵
幼少期に片目を失明。
独眼竜将軍として知られた勇将。
土佐藩士 山地元恒の長男として生まれる。
山内容堂公の側小姓を務める。
幕末、中岡慎太郎や坂本龍馬の思想に影響を受ける。
戊辰戦争に従軍。鳥羽伏見の戦いに参加後も胡蝶隊隊長として東北を転戦。
1868年には土佐藩大隊長となる。
その戦功により明治新政府より賞典録150石を授けられる。
明治維新後
御親兵として上京し陸軍少佐に任官。
西南戦争では別働第3旅団 黒川通軌大佐の元参謀長を務める。
1881年(明治14年)
陸軍少将、熊本鎮台司令官となる。
大阪鎮台司令官など歴任
1886年(明治19年)
陸軍中将となる。
第六師団長を経て、1894年(明治27年)
第一師団長として日清戦争へ出征。
金州や難攻不落として知られていた旅順、田庄台などを破竹の勢いで攻略した。
戦後は西部都督を務め明治30年10月3日三田尻で死去した。
早逝しなければ陸軍大将、伯爵になったであろう将軍。
また藩閥政治により人材が埋もれるのを惜しみ、不遇の人材を引き上げる努力を惜しまなかった。
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