やばい
DREAMでのジミー・アンブリッツの戦いぶりをみて…
一目惚れした人
須藤元気はじめ…解説の人たちが笑っていたのがツボなひと
集まれ
少年時代から自体重を超える重さのバーベルでトレーニングし、全盛期にはベンチプレス340kg以上、スクワット450kg以上を持ち上げた。
幼い頃から喧嘩に明け暮れ、高校生の時にバーのバウンサー(用心棒)を始める。
2001年4月28日、Rage in the Cage 27でプロデビューし、開始34秒打撃によるKO勝ち。以後、連勝を重ねた。
2002年8月2日、King of the Cageに出場し、王者ダン・ボビッシュとKOTCヘビー級タイトルマッチで対戦。マウントパンチでTKO勝ちし、KOTCヘビー級王者となった。
2003年5月2日、KOTCヘビー級タイトルを返上して日本の新日本プロレス主催の総合格闘技ルールの試合ULTIMATE CRUSHに参戦した。2週間前に足の靭帯を負傷していた影響もあり、ジョシュ・バーネットにパウンドでTKO負けし、初の敗北となった。
2003年9月に新日本プロレス所属選手となり、同月にプロレスデビューするもプロレスルールには適応できなかった。
2003年11月30日、新日本プロレス所属としてパンクラスでロン・ウォーターマンと対戦するも、引き分けに終わる。
2004年11月、ロサンゼルスで行われたPRIDEのオーディションに参加するも、PRIDE参戦は果たせなかった。
2006年3月15日、HERO'Sでジェロム・レ・バンナと対戦。タックルでテイクダウン、パウンドを狙うもガードされ、スタンドで再開。バンナのキックにパンチで応戦、前に出たところに右フックを当てられてKO負けを喫した。
2008年9月23日、DREAM.6でセルゲイ・ハリトーノフと対戦し、パンチによりタップアウト負け(DREAMの記録はKO負け)。負傷欠場となったマイティ・モーの代理であったが、DREAMから正式発表されたのは試合前日であったほどの緊急参戦となった。
困ったときには