「いただきます」研究会とは
わたしは、この「いただきます」研究会を通して、
「感じる食育」を、
たくさんの方とわかちあいたいと考えています。
今、世間では、食育という「学問」が確立されてきました。
けれども、何か腑に落ちないところがあったのです。
そう考えているうちに気づきました。
日本には、生きるうえで古来からの
独自の考え方があったことに。
『すべての存在にいのちがある』
『すべての存在に神が宿っている』
という考え方です。
食べるという行為は、命をいただく、神の力をいただく
ということです。
それは、「生きる」ということすべてにおいての
基本なのです。
ですから、「もったいない」とか、
「お米には8人の神さんがいる」とか、
日本独自の「いただきます」「ごちそうさま」の挨拶、
その他多くの作法などが発達してきたのでしょう。
幼い頃は、それが窮屈でした。ましてや、
静かに食べることは、拷問のように感じていました。
「いのちに敬意をはらう」という芯のところが、
幼いころのわたしには、理解できていなかったからです。
しかし、子どもを産み、育て、食育、エコロジーという考えに触れていく機会が増えるにつれ、
『外側を、どうこうするのではないんだ。
内側で感じる衣食住あって初めて
命がふきこまれるのだ』
ということに、気づいていったのです。
分かち合いたいことは、あふれるようにでてきますが、
まずは、わたしたちに欠かすことのできない「食」から、
みなさんと楽しみたいと思っています。
さて、「感じる食育」というものは、どういうものなのか?と、お思いでしょう。
それは、とっても簡単なことなんです。
食材の色、姿、形、香り、歯ざわり、舌ざわり、喉ごし、
味、噛むこと、お箸の重さ、自分のからだの動き・・・
そういったものを「まるごと楽しむ」ということなんです。
最初は簡単な噛むことから始めていきます。
そうすると、自然に味わうことができるようになり、
他のすべてにつながっていきます。
お米の甘さ、香りに驚かれる方も少なくありません。
わたしには、稲穂が並ぶ田んぼといった、
「お米の記憶」が見えるときもあります。
真剣に噛むと、いただくもの、動作、感覚すべてが、
新鮮な驚きであふれていきます。
そして、何をいただいてもいいんです。
野菜、肉、魚、どんな食材も、
「いのちをいただく」ということには、
何ら変わりはありません。
食べ物の「よい」「わるい」は、
こころの中でしか存在しないのです。
急ぎながら、考えながら、テレビをみながら、
しゃべりながら、何か読みながら、
無意識に食事を口に運ぶことが多いのならば、
もう一度、食べるということを、
みつめなおしてみてはどうでしょうか。
感じる食育は、癒しが起こります。
愛を体験します。
こころの平安をもたらします。
おいしくご飯をいただくことでいのちを感じる。
つまり、生きるということを体験できるのです。
難しい理屈はいりません。
それは
古来からの日本の智恵を、
聖なる知識を試すことから始まります。
これは、わたしたちおとなの責任だと考えます。
わたしたちおとなが、すべてのいのちをいとおしむことで、
子どもたち、そして世界へ、
平和が広がっていくと思うのです。
生きることは癒しです。
生きることは愛の表現です。
本当にシンプルなものです。
「うれしい」
「ありがとう」
「あいしてる」
これでいいんだと思います。
そういったことを
「いただきます」を通して
あなたと一緒に思い出していきたいのです。
「いただきます」研究会 会長・石坂好絵
無農薬なら、無農薬にこしたことはない。
無添加なら、無添加にこしたことはない。
けれども
そういったこだわりを捨てて
「いのちをまるごといただく」
それが
食べるということ。
石坂好絵