グルノーブルから札幌へ。
1972年、アジアで初めて開催された第十一回冬季オリンピック札幌大会。
1940年、夏季東京大会とともに戦争で一度は中止されたオリンピックが市民の念願で実現。
昭和天皇の開会宣言で11日間の幕は開けられました。
札幌の恋人といわれたアメリカのジャネットリン、金銀銅独占の日の丸飛行隊、当日のスピードスケートの世界記録保持者鈴木恵一選手やリュージュで活躍のりんごちゃんこと旧姓大高優子選手などなど。
オリンピックで札幌の街も一変しました。
昭和44年の定山渓鉄道の廃止、二年後の地下鉄開通やオーロラ、ポールタウンなどの地下街ができ人口も百万人を越えました。
トアエモアの虹と雪のバラードは今でも市民に親しまれています。
作詞の河邨文一郎先生は元札幌医大教授。
真駒内屋外競技場、アイスアリーナ。大倉山、宮ノ森共ジャンプ競技場、美香保競技場、手稲山回転競技場、恵庭岳滑降競技場etc。
オーストリア代表のアルペン競技代表のカールシュランツがアマチュア精神に反する商標問題が問題になり札幌オリンピックから追放、オーストリア選手団のボイコットの危機もありました。
閉会式は真駒内のアイスアリーナで行われましたが残念なことに次回開催地に決まっていたアメリカデンバーが後に開催を返上。結局インスブルックになり大会旗は受け継げませんでした。
開催期間
1972年2月3日から13日
参加国数 35カ国