相模國主、後北条家第5代当主。
生没、1562〜1591.12.19。
改名、国王丸→氏直。
最高官位、従五位・左京大夫。
1580年8月、家督相続。
1582年6月、本能寺の変後に氏直は
信長臣下の滝川一益軍を撃退し、
甲斐信濃侵攻を本格開始する。
1582年8月、甲斐にて家康軍と対陣
1582年10月、氏直→上野領有、
家康→甲斐信濃領有し、家康娘を
氏直に嫁がせる事で和睦が成立。
家康との同盟成立後、関東統一を
目指し下野・常陸に侵攻。しかし
統一目前、中央で台頭した秀吉
から私戦禁止通達命令状が届く。
氏直は奥州、伊達政宗に書状送り
北条・徳川・伊達の秀吉対抗同盟を
画策。小田原城では穏健派と
強硬派が対立、秀吉との決戦決定
1590年、秀吉の小田原攻略開始。
氏直は籠城戦で対抗も、秀吉軍の
小田原完全包囲、水軍の海上封鎖
支城陥落、重臣謀反未遂等で降伏
氏直は家康の娘婿で或った事で
助命。紀伊高野山追放、謹慎生活。
1591年、正式罷免され1万石授与。
豊臣家大名として復活矢先に病死
翌年1国授与、国持大名予定だった