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博多祗園山笠 千代流 

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詳細 2023年7月12日 17:13更新

毎年7月1日から7月15日に九州の福岡県福岡市博多で行われる「博多祗園山笠」の千代流の参加者、もしくは博多山笠に興味・関心(参加希望)とか応援している方のコミュニティです。
千代流の二十四の町内に参加されている方・他の流に参加されている方も御自由に参加して下さい。

☆博多祗園山笠の概要☆
福岡県福岡市博多区のおもに博多地区の区域で7月の15日間に行われる祭で、博多の櫛田神社に奉られている素戔鳴尊(祗園様)に対して奉納される祗園祭のひとつです。神社の祭りは正式には「櫛田神社祗園例大祭」と呼ばれ、それに応じて氏子の町内が始めた付け祭が発展する課程で山笠と呼ばれる山車が登場する様になったため神社の祭も含めて「博多祗園山笠」と呼ばれるようになった。参加者や福岡市民などからは、「山笠」「ヤマ」と略称される。
日本三大祇園祭の一つである博多祗園山笠は、博多総鎮守である櫛田神社への奉納神事であり、その歴史は767年余りあり、国の重要無形文化財に指定されています。
博多どんたくとともに、博多を代表する祭りの一つとして全国的に知られている。

☆博多祗園山笠の起源☆
博多祗園山笠の起源については諸説ありますが、有力な伝承として、鎌倉時代の初期にあたる仁治二年(1241年)に、臨済宗東福寺の開祖でもあり、博多に給わる承天寺を開いた当時の住職である聖一国師弁円が宋から帰国した際に、当時蔓延していた疫病が流行した際に、博多津中の人々に請われて、疫病を鎮めようと、町中の人々が担ぐ木製の施餓鬼棚に乗って、病魔退散を念じ祈祷水(甘露水)を撒きながら町を清めてまわり疫病退散を祈祷したことを発祥とするのが通説であります。
現在の山笠との類時点を見ても施餓鬼棚と山笠の台、車輪なしの台を担き上げて走り回るスタイル、水を撒くなどがあり、当時の神の信仰と仏教信仰とが融合調和していたため、それが疫病流行させると恐れられたために祇園の神を鎮める神事として変わっていたとも考えられます。
現在の山笠の基本となっている「流」が出来たのは、安土桃山時代に島津と豊臣との戦いにより博多の街は焼け野原となったが、博多商人(町民)の頼みにより、豊臣秀吉の命により、博多の街をいくつかの区画毎ごとに区分して博多の町が形成されて太閣町割り(戦災復興による街区区分の設定)において「流」の呼称が生まれました。この「流」(ながれ・町を複数集めた街区の意)が博多祗園山笠のグループ単位の発祥である。
戦後の一時期、13もの流 「大黒流」 「呉服町流」 「西町流」 「恵比須流」 「東町流」 「土居流」 「福神流」 「櫛田流」 「岡流」 「浜流」 「築港流」 「中洲流」 「千代流」が存在したが、現在の流においては、西流・千代流・恵比須流・土居流・大黒流・東流・中洲流・上川端通である。
博多山笠のここまでの道程は決して平穏なものではなく、戦禍・天災・人災など幾度にもわたる難局を乗り越えてきた博多町人や先人達の熱き思いを試行錯誤の積み重ねのおかげで現在に至りまして、博多祗園山笠は伝統を守りつつも時代に受け入れるべく伝承されているのです。

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参加メンバー 54人

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開設日
2008年6月21日

5787日間運営

カテゴリ
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