1966年当時新宿そして「新宿風月堂」を根城にしていたバム・アカデミー(乞食学会)は日本のサマー・オブ・ラブともいうべき1967年のフーテンの大量発生の夏にある集会を開いて、新宿を行進し、この快楽と虚栄のバビロン・シティに別れを告げ、日本各地にコミューンをつくる。
いわく、エメラルド色のそよ風族(東京国分寺)、雷赤鴉族(長野県富士見高原)、ガジュマルの夢族(鹿児島県諏訪之瀬島バンヤン・アシュラマ)、夢みるやどかり族(宮崎県)など。
そして、自らの機関紙とも言うべき『部族新聞』を発行、そこに「部族宣言」を掲載して、たからかにこの虚栄の文明が滅びが近いことを警告する。バビロン文明のシフトを呼び掛ける!
「ぼくらは宣言しよう。この国家社会という殻の内にぼくらは、いまひとつの、国家とはまったく異なった相を支えとした社会を形作りつつある、と。統治するあるいは統治される如何なる個人も機関もない、いや「統治」という言葉すら何の用もなさない社会、土から生まれ土の上に何を建てるわけでもなく、ただ土と共に在り、土に帰ってゆく社会、魂の呼吸そのものである愛と自由と知恵によるひとりひとりの結びつきが支えている社会 - ぼくらは部族社会と呼ぶ。」
ではじまる格調高いそして詩的な宣言文だ。いま読んでも感動する。ぜひ教科書に採用してもらいたい文章である(書いたのはナーガこと長沢哲夫である)。
そして「ぼくらは国家の消え去るべき宿命を見守るだろう。ぼくらはいまひとつの道、人類が死に至るべき道ではなく、生き残るべき道を作りつつあるのだ。 ひとりひとりの人間においては、彼がその肉体の死とともに消え去ってしまう道ではなく、永遠の不滅の自己にたどり着くべき道を。」
と続き
「部族社会は、まさに夜明けの太陽のごとく、全地上にあまねく光を投げかける。国家社会の下に息絶え絶えに生活している他の人類に対し、幾度も幾度もぼくらの内面の呼吸を、大地の呼吸、魂の呼吸を取り戻させるべく。「大地に帰れ!」と、そして「自らの内に大地の呼吸を取り戻せ!」と。」
とつづられたこの宣言は『部族』第一号(1967年12月発行)に掲載され、彼らはGパンをちょんぎった短パンすがたで新宿で売り歩いたのだった。
さぁ、いまとしては予言的なこの「部族」の歩みをひもとこう!
それぞれのかってのメンバーはいまや社会に詩人として百姓として受け入れられたように見える。果たしてそうなのか?
「部族」の予言性、存在とはなんだったのか?
簡単にいえば、この国における純正のヒッピーだった「部族」は、いまやエコロジーの、トランス・レイヴの、まつりのルーツ思想でもあるとも言える。
ドラッグ・カルチャーの側面も射程にいれてみなで考えていこうよ。
このオジさんたちのことを!
関連コミュ『新宿風月堂』→
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