インドに心惹かれ・・インドが大好き・・何となくインドが気になる方々のコミュです。
自由にインドを語り合う広場になってほしいと思っています。
平成20年3月8日開始です。参加者大募集中です!!
『いつかはインドへ』そう考えるようになったのは、ご参考までに抜粋した藤原新也さんの本に出会ってからです。
現在はインド関連の会社を立ち上げ・・日本よりインドを故郷のようにしています。
妻にはこういってあります・・『僕が死んだら亡骸はガンジスに流してください。(最近難しいようですが・・)そして岸辺に打ち寄せられた亡骸を赤犬にせせり食われるとき、僕は本当の自由を獲得します。』
・・決して偏った宗教人や厭世者ではありません。
藤原新也『黄泉の犬』*************************************
・・・たとえば路上に人の屍がころがり、乞食たちがむせかえるような臭いを発散させ、死体の屍を食らう野良犬が徘徊し、熱球のような太陽に頭頂を直視され、盗っ人にかっ攫われ、細菌に腸を占拠され、洪水に足をとられ、旱魃に渇き、砂漠のトゲに脛の血をしたたらせる、そんな、あるいはこの世界の中で最もファンタジーから遠い"現実原則"の剥き出しのこの地に、現実回避型の青年たちが大挙して訪れるというこの奇妙な現象。70年を幾年か過ぎたころ、私はそのような不可思議な現象に直面していた。空中浮遊までいかなくとも、西欧からやってきた青年にはもともと多かれ少なかれインドの地に対する神秘志向型が多い。しかし73、4年あたりから大挙して押かけ始めた日本人旅行者にもそのような傾向が顕著に見られはじめた・・・西欧人は植民地の時代以来アジア、アフリカ、南太平洋、南米といった有色人種を支配してきた。しかし近代においてその合理思想に破綻をきたしはじめて以降、有色人種地域に対する無知と蔑視が、逆に思い入れ過剰な期待感へと裏返って、自らの世界に欠落する非合理性や神秘性をそれらの地域に求めるという逆転現象が起こった。つまり自らの行き詰まり状況に対する治癒をそれらの地域に求めはじめたのである。・・・
・・・ヒンズー教徒の沐浴を眺めて。薔薇色の朝日を全身に受けながらガンジス河の水を口に含み、合掌している裸体の男女が並んでいた。その一人一人に人生があり、他人にはいえぬ秘密があり、そしてそれを重たく背中に背負って生きている。ガンジスの河のなかで彼等は浄化せねばならぬ何かを持っている。・・・「印度人はこの河に入ると、来世でよりよく行きかえると思うているそうですな」「ヒンズーの人たちはガンジス河を転生の河と言っているようです」・・・「信じられのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です」・・・「その人たちを包んで、河が流れてることです。人間の河。人間の深い河の悲します。そのなかにわたくしたちもまじっています」・・・と。
困ったときには