水野廣徳(水野広徳) 1875年5月24日 - 1945年10月18日
松山藩士の子として生まれる。秋山好古・秋山真之兄弟は遠縁。
海軍兵学校第26期卒
日本海海戦では海軍大尉(水雷艇長)をつとめ功あり、東郷平八郎より感謝状を受く。
日露戦争後は戦史編纂に従事。日本海海戦をテーマとした「此一戦」は一躍ベストセラーとなる。
第一次大戦時、欧州を私費視察。大戦の惨状を目の当たりにし、反戦への思いが芽生える。
この後、水野は退役し、軍事ジャーナリストの道を歩む。日に日に厳しくなる言論封鎖の中、一環して日米戦へ反対、軍のあり方を批判し続けたが、とうとう軍部よりその著書が発禁処分を受ける。
一人息子がフィリピンにて戦死するが、その報を知らず、失意のまま終戦の年の十月に死去。享年71歳。
困ったときには