天正8年(1580年)、本多正信の次男として生まれます。
兄の正純とは年の差15歳。
12歳の時に家康の旗本倉橋長右衛門の養子になり、
そのまま父の威光で出世街道まっしぐらのはずだった政重ですが
同僚とのいざこざで徳川を出奔してしまいます。
その後の政重は大谷吉継→宇喜多秀家→福島正則→前田利長→上杉景勝と様々な大名に仕官を求められるのですが、1612年(慶長17年)に再び前田家に帰参し、3万石を拝領します。
参戦した大阪冬の陣では真田信繁(幸村)に真田丸に誘い込まれて敗れ、幸村に名を成させしめてしまいます。
慶長20年(1615年)閏6月3日、従五位下安房守に叙任し、利常以後も光高・綱紀に至るまで家老として補佐に当たります。
正保4年(1647年)3月、病を理由に隠居して大夢と号し、本多政長に家督を譲り、同年6月3日に死去しました。享年68。
辞世の句
「ひとたつと うちつくる下に 何も無し おもへばおもふ 夢もまた夢」
父と兄は知略に優れた人物でしたが、政重は武勇に優れ、豪胆だったことから各大名から招かれました。
ただし一説には正信の意を受けて、諸大名の間諜を務めていたとも言われています。
姿があまりはっきりしないところに興味を持ち、このコミュを立ち上げました。
管理人自体がまだまだ勉強中ですので至らない点は多々あると思いますが、
ご指導宜しくお願い致します。
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