葉室鐵夫 (はむろ てつお、1917年9月7日 - 2005年10月30日)は、福岡県福岡市出身の元オリンピック競泳選手。
競泳:200m平泳ぎにおいて、 五輪新記録を出しての金メダル優勝!! 【写真中央】
1936年、ヒトラー政権下のドイツ、ベルリンで行われたオリンピック。別名、ナチオリンピック。
ベルリンオリンピックにて、頑張れなどで賑わせた前畑選手と共に、金メダルを収得して、世界中を轟かせた。
この決勝戦はヒトラーも観戦し、実際に敬礼したといわれる。1940年に第一線を退くまで、200m平泳ぎで世界ランキング1位の座を守った。
また、200m平泳ぎ男子世界記録保持者でもあった。
福岡市にある修猷館中学校(旧制、現在の福岡県立修猷館高等学校)から日大予科に進学。1936年のベルリンオリンピック200m平泳ぎで金メダルを獲得した。(引退後は毎日新聞社の運動部記者として、アメリカンフットボールの甲子園ボウル創設に携わるなど、活躍した) また、1990年に国際水泳殿堂(米国)入りを果たした。葉室氏の死去によって、戦前のオリンピックの金メダリストは全員物故したこととなった。
【ニュースより、抜粋】
葉室鐵夫−平泳ぎニッポンの伝統守り3連覇達成
1936年ベルリン・競泳・男子200メートル平泳ぎ
手のかきは現在のバタフライで、足のかきはかえる足というバタフライ式平泳ぎが正式に承認された初めての五輪。ヒギンズ、ゲスレー(米国)、バルケ(ドイツ)といった選手が新泳法で挑んだ過渡期の男子200メートル平泳ぎ決勝で、鶴田義行から続く平泳ぎニッポンの伝統を守ったのが、19歳の葉室鐵夫だった。
オーソドックスな泳ぎで45メートルごろから先頭に立つと、180メートル過ぎで一度ジータス(ドイツ)に抜かれたが、ラストスパートで、抜きかえし1着でゴール。見事日本の五輪3連覇を達成した。
体力、気力を使い果たした葉室は、ゴール後しばらく死んだようにプールに浮き上がり、動けない。葉室はその時のことを、「息ができないくらい苦しかった」と述懐している。前回の銀メダリスト小池禮三が銅。
同じ浜寺水練学校出身の奥さんも、代表選考会で金メダリスト・前畑秀子と競った元平泳ぎ選手で、後日マスターズ水泳で世界記録を作り話題になった。娘さんも東京五輪代表候補に入った水泳一家だった。
困ったときには